GIGI日記~映画とか本とか~

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その他「2021年の夜明けとゴミ問題」

皆様明けましておめでとうございます。年末年始はコロナのおかげでなんとなく街が静かな気がします。あ~よかった。馬鹿騒ぎが聞こえてこないのでボクとしてはうれしい限り。しかし「お正月だよドラえもんは一体いつからやらなくなってしまったんでしょうか?まあやってても見ませんが・・・。

そんな中、休みの日の日課となっている散歩にルンルン気分で出かけたのですが、公園の一部のベンチやテーブルの上にゴミが放置され散乱しているまさかの光景が・・・。。カップラーメンの空き容器とか割り箸、包装とか空き缶などなど。もう元旦早々ものすご~くいやな気持ちになりました

そして痛烈に怒りがこみ上げてきました。おそらく大晦日の夜、その公園に集まった人間のクズどもが近くのコンビニでカップ麺を買って、しかもお湯まで入れて、それを大騒ぎでゲラゲラ騒いで食べたのかどうかは知りませんが、かつそれが年寄りなのか若者なのかもわかりませんが、仲間内で食べて飲んでそのまま放置して家路についた、といったことなんでしょう。あのう~君たちね、もういいからコロナにかかって死んでくれませんかね。

ボクが特に頭にきたのは、この公園では要所要所にゴミ箱と灰皿がきちんと設置されているからなんです。現在の都内の公園では、ゴミ箱とか灰皿は管理の負担になるので、どんどん撤去されてるのが現状なわけですが、そんな中で、この公園ではゴミ箱も喫煙用の灰皿も未だにちゃんと設置してあるわけですよ。これはもう奇跡と言ってよいかと思います。しかしこういうゴミのポイ捨てが続くと、それもいつ撤去されてしまうかわかりません。

そもそもこういう奴らって、ゴミをポイ捨てすることはかっこいい!最高にクール!オレらは悪(ワル)!俺らはアウトロー!俺らはアンタッチャブル!!!・・・とでも思ってるんでしょうか?(もう最高にアホ)。また一緒にいる人たちの中でそれを注意する人間は一人もいないんでしょうか。まあこれが、日本に(まあ世界にも)古くから根付いた同調圧力なんでしょうか。ある意味、こうやって似たような考え方の人たちだからこそ仲良くなってつるんでるんでしょうが、そこで反対意見を言えない、というのは社会、企業、あるいは学校なんかでも非常に恐ろしいことだと思いますね。こういう些細なことが積み重なって、差別を生み、独裁を許し、そして虐殺や迫害を生むわけですから。そうです、これこそまさに中国共産党ではないですか。

しかも、こういうポイ捨てとかって別に若者とか関係なく年寄りもやってるわけですよ、そこが絶望的。もはや法的に取り締まった方がよいのではないでしょうか。個人的にはマリファナなんかよりよっぽど深刻だと思います。

で、本日、また同じルートで散歩に行ったら、そういうゴミがきれいさっぱりなくなっていました。えっ!なんで?と思ったんですが、しばらく歩いていくうちにその謎が解けました。それは公園管理者のおっさんが「ゴミ収集車両」というプレートを貼った軽トラに乗って、要所要所でゴミを集めてくれていたからなんですね、この正月三が日のさなかに。荷台には相当量のゴミの袋が積まれていました。きっとボクが見たのはほんの一部で、この広大な公園のいたるところで、信じられない量のゴミが放置されていたのかもしれません。おっさん、本当にどうもありがとうございます。

ここで唐突に感じたのですが、「我々が暮らす街は、それ自体がそこに住む人々を映す鏡である」ってことなんです。つまり、街中や公園に放置されたゴミや、歩きタバコや吸い殻のポイ捨て、そして切り詰められた無残な街路樹などなど、そこに住む人々がNO!と言わないから、だれも注意しないから、そういう現状が生まれてしまって、それが許され、いつしかそれが常態化してしまう、つまり、住民の民意が反映・投射されているという考え方です。

要は進撃の巨人ではないですが、そういう行為に異を唱える人が多いほど街からそういうクズどものなす行為が駆逐されていく」というわけですね(クズどもそのものでなく、その行為という点に注意)。しかし、それは簡単なことではありません。さて、あなたの暮らす街はいかがでしょうか?