GIGI日記~映画とか本とか~

映画、本、料理、植物、ときどきファッション

MENU

ハーメネイ師とライシ大統領

いやあ、この年度末にイランとアメリカは大変なことになりました。トランプさんをもってしても、イスラエルのリクード系の圧力には抗えなかったようです。これでMAGAももう終わりなのか?それとも起死回生の和解策でもあるのか、どうなんでしょう?僕には分かるはずもありませんが、とにかく残念です。

しかしながら、イスラエルという国は一体何様なんでしょうか?というよりも、イスラエルの第六次ネタニヤフ政権ですが。普通の市井のイスラエル人だって戦争なんて望んでないはずです。

でも、こうやって、土足で他国に介入し、そのトップを暗殺したり爆殺したり、こんなことがこの21世紀の時代に起きていることこそ異常ですね。

たしかにイランは保守的で強権的な国ではありますが、他国が口を挟む話ではありません。そんなのはイランの政権と国民に任せておけばいい。

しかし、第一次トランプ政権の際(2020年)には、イスラム革命防衛隊のコッズ部隊の隊長であるカセム・ソレイマニ司令官が、バクダット空港付近で走行中に爆殺されました。

そして今度は2024年に、イランの大統領だったエイブラヒム・ライシ大統領が、アゼルバイジャン領空で、乗っていたヘリコプターの事故により亡くなりましたが、まあ、これも当然暗殺に決まってます。

そして極めつけが今回のアリー・ハーメネイ師の爆殺です。ハーメネイ師だけではなく、奥さんや息子や孫までもが殺されました。要は親族もろとも皆殺しにされたんですよ?なんてひどい話でしょうか。

これによりトランプさんの支持率もおそらく急落するかもしれませんし、なにより一番後悔しているのはトランプさん自身でしょう。しかし、イスラエルは『アメリカが動かなければ核の使用も辞さない!』などと言って、トランプさんに相当圧力をかけたようですね。

それ以外にも、イランから資金調達を受けていたハマスのヤヒヤ・シンワルイスマイル・ハニヤ師も殺され、レバノンの民兵組織のヒズボラのボス、ハッサン・ナスララも殺され、新イランだったシリアのアサド政権も政権転覆され、そしてイエメンのフーシ派もボコボコにされ、イランの誇ったシーア派の三日月包囲網がそのほとんどが壊滅してしまったわけです。

イランばかりでなく、フセインの治めていたイラクも、カダフィの治めていたリビアも、言ってみればアメリカやイスラエルなんかの西側の論理で内政干渉され、そこに石油の利権も相まって、アラブの春などといったCIAの秘密工作によって、政権転覆されたわけです。

こんなのって許されていいんでしょうか?なんか、今回は日本の新聞のほとんどが何の批判もしていないようですが、これもイスラエルの圧力とメディア戦略でしょうか?

日本のクソマスコミは、ロシアのプーチンさんがウクライナで特別軍事作戦を開始した時はあんなに批判ばかりだったのに、今回はほぼだんまりの体たらくです。

ロシアには、NATOの東方拡大をやめさせ、ウクライナ国内のロシア人を守るといった大義名分がありましたが、今回のアメリカとイスラエルのイランへの爆撃はなんの大義もありません。ましてやイランの核開発なんてもう嘘っぱちもいいとこ。

僕はイランの国内のことはよくわかりませんが、そもそも直近のイランの経済危機って、欧米が過去数年にわたって経済制裁をしこたま続けてきたからだし、内政干渉するCIAとかの煽りも多分にあるかと思います。

で、ハーメネイ師の後継者に次男のモジダバ・ハーメネイ氏が選出されたようですが、最近の新聞を見ると、彼は両親と奥さんと息子などを一度に失ったので、アメリカとイスラエルに対し復讐心を燃やし、強硬路線で行く恐れがある、などと書いていますが、そんなの当たり前じゃないですか?

何の罪もない家族が、何の関係もない他国による爆撃で巻き添えをくって殺されたんですよ?当たり前じゃないですか?僕なら、もしも持っていれば間違いなく「核」を使いますよ。持ってなくても、どうにかして報復しますし、それが無理ならテロリストになりますね。

さて、こうやって大国の論理でイランはこの数年、軍部のトップ、政治のトップ、政体のトップの全員が殺されたわけですから、将棋で言えば、王様と飛車と角を取られたようなもんですよ。本当にひどい話です。

ソレイマニ司令官が殺された時に葬儀に参列しているハーメネイ師とライシ大統領の写真がありますが、二人とも泣いています。当たり前ですよ。悲しいに決まってます。
この3人って、それは国のトップ3だったわけですから、そりゃ敵も多くいたとは思いますが、当然、宗教的な知識や学識はもちろん、人を引きつけるカリスマ性や、人を統べる統率力も人並み外れていたはずです。ハーメネイ氏やライシ大統領はもちろん、ヤヒヤ・シンワルもイスマイル・ハニヤもハッサン・ナスララも、みんないい顔してますよ。残念ながら、こんないい顔した政治家は日本には皆無ですね。

因みに、ハーメネイ師はシーア派の12イマーム派(アリーから始まる12人の指導者達)に属していますが、その12代目のイマームは「マフディー」です。僕はこの戦士達の魂に哀悼の意を捧げると共に、こういう腐った国々に鉄槌を下す「マフティー・ナビーユ・エリン」の登場を心より願ってやみません。

ソレイマニ司令官の葬儀で涙を流すハーメネイ師とライシ大統領

「属人化」の真実

さてさて皆さん、今日も年度末に向けて日々戦っていますでしょうか?今回は、最近というかAIでもすぐにヒットする「仕事の属人化」という言葉についてボクの思いを整理したいと思っています。

そもそも「仕事の属人化」とは、簡単に言うと「特定の業務やノウハウを特定の担当者しか把握・遂行できず、業務がブラックボックス化している状況のこと」を言うそうですが、果たして本当にそうでしょうか?

組織で働いていると、誰もやらない仕事、あるいはやりたがらない仕事、やるべきなのに放置されている仕事というものが必ず発生します。それは単に面倒だったり、その担当者がスルーしてしまっているケースもありますが、頭を使って勉強しなければいけない場合も多くあります。

そのため、本来は通常業務ではないにかかわらず、その人が身を削って、あるいは自分の時間を犠牲にして色々と勉強し、どうにかできるようになって、その仕事をこなしてくれているケースが大部分だと思います。

最初のうちは、「○○さん、どうもありがとうございます」「そんな大変なことをやってくれて助かります」「○○さんにしかできませんね」などと、周りの人は感謝の意を表していたわけです。

そして、そういう状況で数年経っても、その仕事を手伝ってくれる人、あるいはその仕事の中身を本気で勉強する人は一向に現れません。そして、更に時間が経過し、新たな新人も入ってくるわけですね。

そのときに、なぜか急に、これまで全く手伝おうともしなかった周りの人間と、新たに入ってきた新人がなにやらごそごそと相談し、経営改善の一環として、こんなことを言い出します。

「○○さんの仕事の一部が属人化してしまっている!みんなでやりたくても、マニュアルがないので情報の共有ができない。属人化は生産性の低下をもたらす。すぐに改善すべきです!」

これって最近の風潮なのか、どこかの経営コンサルとかマネジメント会社が流行らせたのでしょうか?上記の様な背景を知らないと、さも彼らはまっとうな主張をしているように見えるのが恐ろしい。

だって、そもそも、その仕事を誰もやりたがらなかったんじゃないですか?だからその人が自分の身を挺して、身を削って、時間を割いて、組織のために、周りの職員のためにがんばってたんじゃないですか?

その当時、「それは自分の仕事ではない」「自分は忙しくてそれどころではない」「自分がやらなくても誰かがやるだろう」などなど、彼らはたぶんそういう心境だったはずです。

なのに時が経ち、そのありがたみも薄れ、それが当たり前の日々になり、そんな時、新人達が入ってきました。すると彼らは、新人達の手前、その仕事をその人がやっていることや、その人がその道のスペシャリストになっていることに対し、彼らなりの言い訳を探し、自身の正当化に躍起になります。何より新人にバカにされたくないので。

しかもその言葉は、その人のこれまでの努力や貢献を帳消しにでき、かつ、これまでの自分の不勉強や、知識不足と努力不足を隠蔽する聞こえのよい言葉でなければなりません。そのための便利な言葉、魔法の言葉、それこそが「属人化」という言葉に他なりません。

この言葉はきわめて卑怯かつ攻撃的な言葉です。だってそれまでのその人の努力や貢献を一切無視し、更にはその人がその仕事のマニュアル化をしなかったことがさも悪いことのように解釈されてしまうからです。ここでボクははっきり言っておきましょう。

周りの人間が全く手伝わなかったことこそが諸悪の根源ではないのですか。そして、マニュアルが本当に必要なら、その人に頼んで、やり方を教えてもらって、勉強して、そしてオマエが作れ!と。

世の中や組織には、このような悪意が溢れています。そしてその背後には、自身の保身や、自身の能力不足、妬みややっかみ、嫉妬もあるでしょう。

もしもあなたの周りでこの「属人化」という言葉を使う人がいれば、あなたは警戒しなければなりません。そしてよく周りを観察する必要があります。

その仕事はその人が何の見返りもなく内心的に自己犠牲の精神でやってくれていることではないのか?周りの人はその仕事を手伝おうとしているのか?ただ単に自身の無能からその人を貶めようとしているだけではないのか?などなど。

こういう話をしていると、ボクはキングダムの桓騎の台詞を思い出します。

「本当に悪いのは無関係を決め込んでる中間の奴らだ!そいつらが何もしねえから世の中、何も変わらねえ!」

まさにその通り。何もせず、手伝いもせず、自ら動こうとせずに、ただ文句を言うだけの中間層こそが、組織でも社会でも国でも最大の癌だと思いますね。

組織には必ず、よく働く有能な人間が2割、普通の(能力)の人間が6割、無能な人間が2割、つまりは2:6:2の法則などと言われます。ボクは桓騎と同様、無能な人間2割より、普通の人間6割こそ、たちが悪いと思います。こいつらのせいで、組織はダメになります。下手をすると崩壊します。なので一つだけ彼らに言っておきたい!

お前らが普通なのはそれでいいから、せめて、オレのやることの邪魔をするな!と。

 

 

映画「閃光のハサウェイ キルケーの魔女」

評価:★★★☆☆

さてさて、やっとこの年度末にどうにか行ってきましたキルケーの魔女!昨晩行ったばかりなので、まだ興奮冷めやらぬ状況で体がほてっています。寝ても覚めても落ち着かず、もう一度小説版を読み始める始末。。。そのぐらい衝撃と畏怖(インパクト)がありました!それは間違いありません。

で、その評価はいかに!って事なんですが、残念ながらボク的に3~4の中間くらいでした。とはいえものすごくよくできていて、確かに楽しめたんですが、ちょっとなあ~という部分も多分にありました。それを以降にまとめていきます。ネタバレはほぼないと思いますし、ストーリーが知りたいなら他のサイトを見てくださいね。

①映像が少し暗い

オエンベリでのモール内のパートの画面が暗いんです(ボクの鑑賞した席の問題なのか?)。オエンベリで戦っていたファビオらが率いるゲリラ軍にハサウェイらのマフティーも合流するんですが、連邦のダメ将軍のキンバレーなんかも捕まっているんです。ですが、とにかくそのシーンが暗くて、顔がよく見えないし、さらに、キンバレーの登場が30秒もないので、そのダメっぷり、無能ぶりが全く伝わってこないままに、このパートがさくっと終わってしまうんです。ここ、せっかく新キャラ達がたくさん出てきたのに、ほぼ感情移入する間もなくスパッと片付けられてしまうのはさすがに残念。

②マフティー軍の動向がセリフのみ(泣)

本作中、マフティー軍は二手というか三手というか、ハサウェイらとガウマンらで二つに分かれて行動したりするわけです。もちろん、彼らの偽装艦のヴァリアントとかシーラックもそうですが、それぞれのパートで起きたことが、映像として表現されていなかったりするわけです。それがたった一言のセリフですでに終わったこととして語られてしまってるわけです。「○○隊が全滅した!」とか「○○が撃沈した!」とかいう感じで。これは小説版と同様で、あまりにも残念。そもそもそのパートには今作で初めて出てきたキャラもいるので、一体誰がやられたのかもわからずじまい。さらに「いい奴から死んでいくんだよな~」とかイアムに言われても、そもそもそのいい奴を、こっちは記憶すらしてないわけでして。誰だっけ~?みたいな。これも残念無念。

③戦闘が3Dでゲームみたい(号泣)

戦闘シーンはボクにはもう全く理解不能。なんかよくできた3Dゲームの激しいバトルをみてるみたいで非常に残念でした。端から見ると、3D描写とはいってもクスイーとアリュセウスが白いニワトリ2匹がバチンバチンぶつかり合っているだけにしか見えなくて、どのような戦いが繰り広げられているのか、ハサウェイは敵を何機撃墜したのか、マフティーは何機やられたのか、これらがさっぱり理解できません。そして、ビームライフルとか、ファンネルミサイルとか、ビームサーベルとか、Iフィールドみたいな多彩な武器や武装が、一体いつ使われて、どれが失敗して、どれがヒットしたのか、そういう戦いを左右する重要な部分が3Dニワトリ合戦では一つも視覚的に理解できませ~ん。これは致命的でした!この部分って、やっぱり逆襲のシャアみたいに2Dで丁寧に表現してほしかったです。ボク的にはTHE ORIGINの作画レベルでもう十分すぎるほどです。

コクピットパイロット描写が2~3人だけ(激泣)

マフティー軍には当然ハサウェイだけではなく、当然、メッサーに乗ったほかのクルーも数人いる訳ですよ。ハーラとかドラブとかビランテスとか(パンフ参照)。同じく、キンバレーのオエンベリの部隊やキルケー部隊にもね。

なのに、モビルスーツコクピットパイロットが操縦しているシーンはハサウェイ以外には少しだけガウマン、あとはレーン・エイムだけしか出てこないんです。これはもう致命的で、要はもうこの戦いって、マフティー対キルケーではなく、ハサウェイ対レーン+ケネスみたいな、きわめてスケール感の小さな諍いにダウンサイズされてしまっているわけです。なので、一回もその描写がないパイロットがやられたとか全滅したと言われても、こっちは「ふ~ん、残念。けど、それって誰だっけ?」みたいな思考になってしまうんですね。

⑤歌が微妙

OPは劇中の15分ぐらい経ってからはじまります。ちょうどクスイーガンダムが水圧とか機密性のチェック?をやるために水中に潜った瞬間にタイトルロールが入って、オープニングの曲のSZA「Snooze」が挿入されるんですが、これがもう最高にかっこいい!ここは少し震えましたね!

ただ、エンディングのガンズの曲も悪くはないんですが、やはり劇中、第1作の最高の楽曲であるAlexandrosの「閃光」みたいな、勢いのあるかっこいいイケイケの曲が入ればもっとよかったです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

というわけで、ボクなりに感じたダメダメ部分をざっと概説してきましたけど、当然ですが、素晴らしい部分もたくさんありました。

①とにかく風景や建物等の映像がきれい

陸地や森林や海の描写ばかりでなく、船やホテルやコテージやリゾート地のこれでもかというほどの緻密で美しい描写には度肝を抜かれました。これはもうスタッフの皆さんがこの5年間、必死に努力したその結晶だと思います。

ですが、はたしてアニメーションにここまでの緻密さって必要なんでしょうか。本当に緻密さや精巧さ、リアルさを追求するなら、それはもう実写でいいわけです。つまり、ボクとしては、「アニメを実写に近づける」というベクトルではなく、その部分にリソースを投入するよりは、むしろ映像のクオリティはほどほどに、むしろ、新しく登場したキャラクターや戦闘シーン、さらにはセリフで済ませてしまったシーンの映像化に力を注いでほしかったです。

そもそも本作は尺も長くなく(108分)、始まったと思ったらあっという間に終わってしまいましたので、できればあと20分ほど長くして、130分程度の作品にしてほしかったですね。

②ハサとギギの人物描写がすばらしい

今回ボクが興奮したのは、やはりハサウェイの複雑かつ中二病的なトラウマが非常に丁寧に描かれていたことと、ずっとハサウェイのことを振り切れないギギの心情がうまく演出されていた点です。ハサウェイもギギもまだ20代前半の多感な若者です。二人は色んな人たちと出会い、ハサウェイには自分を立ち直らせてくれたケリアもいます。またギギにも、自分を救ってくれたバウンデンウッデン伯爵がいます。二人はある意味ストイックなので、その恩を簡単に断ち切ることはできませんし、その恩に報いることこそが自分の存在意義、生きる意味だと感じて生きてきたわけです。

しかし、ちょっとした運命の偶然から、二人はハウンゼンで出会ってしまった。そして強く惹かれ合うことになってしまうわけです。二人とも一度は別れを選びますが、どうしてもお互いに振り切ることができない。そういう悶々とした葛藤や迷いが非常にうまく表現されていました。

というように、この2作目はちょっと馴染めない部分もありましたが、やはり最高の作品であることは間違いありません。また映像描写も、再度ブルーレイとかで観ればまた印象が変わってくるのかもしれません。

ただ、ボクが総じて感じたのは、やっぱりハサウェイもギギも生き急ぎすぎている、という点ですね。二人とも20代の前半で、時間はたっぷりあるわけですから、そんなに急がなくても、少しい落ち着いて、体制を整えて、同士をもっと増やすとか、ギギもモビルスーツに乗せるとか、なんかもっとやり方はなかったのでしょうか?だって下手するとこの3部作って通算で2週間ぐらいの話ですよたぶん。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

体制を変えるというのはとんでもなく大変です。政治で変えろというのはアムロですが、その政治そのものが腐っているので、テロしかないだろ!というのがハサウェイの主張です。そのテロによって大衆を味方に付け、政治を変えていく、そのためのマフティーで、その役を自分が演じきらなければならない。

ボクには何が正しいのかわかりません。しかしやはり、世の中の人の多くが無関心になっているというのが最大の要因だと思います。政治に一切期待せず、ろくに勉強もせず、他人事だと見て見ぬふりをする。こういうニヒリズムの蔓延が、政治家や官僚の腐敗を増長している最大の原因です。だって政治家や官僚からすれば、民衆が無気力、無関心で無学であるほど、彼らの好き放題に世の中を統治できるからです。

なので皆さん、まずはこのキルケーの魔女を観たあとで、世の中を変えるための最低限の一歩として、明日の衆院選は必ず投票に行きましょう!特に若い人、Youtubeで政党の主張をきちんと勉強し、キルケーの魔女を観て、そして絶対に投票に行ってください。

閃光のハサウェイ キルケーの魔女

Goodbye 2025!Hello 2026!

いやいや2025年ももう終わりですね。今年もまた色んな事がありました。色んなところに行きました。色んな人に会いました。そしてたくさん笑いました。最高に楽しい一年でした。さて皆さんはどんな1年だったのでしょうか?

休みに入って今日で5日目!いやいやどんどん時間が過ぎるのが早くなります。この休み中は、ずっとやりたかった料理に精を出しています。これまでに作ったり食べたのはざっと以下のとおり。

12/27:昼は味噌ラーメン、夜はお刺身
12/28:昼はまた味噌ラーメン、夜は海鮮丼とマグロのカマ焼き
12/29:昼は近くのインドカレー弁当、夜はあんこう
12/30:昼はドネルサンド、夜はお刺身
12/31:昼はミートソース、夜は当然、年越しそば!

まず、味噌ラーメン ですが、これは麺のみ精麺所の友人から買っているもので、スープは全て自作です。なかなかおいしかったですが、麺とスープの絡みがイマイチのような。今度は麺の種類を変えてみようと思ってます。

それと2回食べたお刺身 ですが、2年ほど前になりますか、我が家から2キロ離れた場所に、昔ながらのお魚屋さんをに発見し、それ以来、仕事がないときは必ず毎週土曜日に新鮮なお刺身を買いに行ってます。この魚屋さんが本当にすばらしい。まるで昭和の魚屋さんで、捌きたてのお刺身がお店のガラス張りの棚(ショーケース?)にたくさん並べられているんです。更には天ぷらや焼き魚まで軒下に並び、この地域の住民達の胃袋を支えているのがこのお店。なぜならこの地域は二方を川に挟まれた陸の孤島のような場所で、近くにスーパーは皆無で、唯一セブンイレブンしかないからです。

お店のおっちゃんは市場でその日に仕入れた魚をその日のうちに捌いてお刺身にしているので、その鮮度と言ったらもう抜群!もはや二度とスーパーのお刺身には戻れませ~んですハイ。

翌日の海鮮丼 は、もちろん余ったお刺身をのせて作りました。自家製の酢飯に長いもをのせ、その上にお刺身をのせるのが我が家流です。さらに、お店で一緒にゲットしたマグロのカマは、ダッチ・オーブンでカマ焼きに!

翌々日はあんこうを生まれて初めて食べました。あん肝をフライパンであぶって、味噌と練り合わせて濃厚なスープを作り、そこにアンコウと豆腐、椎茸、エノキダケ、白菜を投入!とてつもなく濃厚で、あんこうの身はプルプルと柔らかくて、最高においしかったです。

そして今日のお昼は、大好きなミートソース を作りました。お袋直伝の味!ニンニクとタマネギを炒め、そこに合い挽き肉を入れて更に炒め、あとはトマトホールとトマトジュースで煮込むだけ。水は一切入れません。隠し味に砂糖と味噌を入れ、最後は塩で味を整えます。このソースをたくさん作って冷凍しておけば、いつでもミートソースが食べ放題!

で今日の夕食はもちろん年越しそばで~す。今日の午後、またまたその魚屋さんまで出かけ、エビ天を買ってきました。従来はこのお店でかき揚げも作って売ってるんですが、本日の大晦日のみ、天ぷらの販売はエビ天だけになるんです。なので自分でかき揚げを作って、先ほど嫁さんと年越しそばを食べました。もう最高にうまかったです!やはり鶏ガラと鰹だしを合わせた自家製スープがかなり効いてました。あと、麺も製麺所から購入したものなのでお店並みにうまい!いやいやともあれ、これが最高の大晦日の過ごし方!

我が家は通常、休みの日は11時に昼食で、夕食は17時15分に食べるんです。まあ、起きるのが早いのと、夕食後の時間をゆっくり過ごしたいので、そのリズムがちょうどいいんですね。なので今日も遅くても22時には寝ますが、そもそもテレビを一切見ないし、誰も来ないし、誰かと会う予定もないので、とても静かで穏やかな大晦日です。けど、ボクにとってはそれが最高の1日!

お酒を飲んでのバカ騒ぎも、パーティーも、夜更かしも、性に合ってません。散歩して、本を読んで、買い物して、料理して、映画を見て、Youtube見て、猫ちゃんを撫でて、たまにブログ書いて、そうやって暮れていく1日の中に、ボクの幸せの全てがあるわけです。

さて、あと5時間弱で Happy New Year ですよ。あっ!新年と言えば、その新年に切り替わるカウントダウンが最高な映画、「ブギーナイツ」でもみようかな。
「グッバイ70年代!ハロー80年代!(Goodbye 70s!Hello 80s!)」って、もうポール・トーマス・アンダーソン監督は最高です。

皆さんもそんな当たり前の毎日に感謝し、新年を迎えましょう!では皆様、どうぞよいお年を!

 

朝5時起床という時間軸

年末年始の休みに入って今日で3日目です。こういう長期の休みに気をつけなくてはいけないのは、生活のリズムが狂って夜型になってしまうことです。

そもそもボクの場合、1年を通して祝日・祭日はこの年末年始しか取らないので、基本的に通常の休みは長くても土日の2日間だけなんです。なので、年末年始に入ると、最初は毎日がとてつもなく長~く感じるんですが、だんだんとその生活にも慣れてきてしまい、休みに入って3日も経つと、1日の時間の貴さや大切さを忘れそうになるんです。

ボクはそれが嫌なので、極力いつもと同じ時間、つまりは5時に起きて朝散歩に出かけることにしてるんですが、どんどん起きるのが遅くなってきました。今日は起きたのがなんと6時半で、なんとなく体がだる~くなってきました。このままでは夜の世界(夜更かしの世界)に引き込まれてしまいそうです。

さて、この1年というもの、ボクは出社時間を大幅に前倒しにし、6時30分には出社していました。従って毎日5時頃に起きて、家を出るのは5時40分ですね。その理由は、電車のラッシュがとにかく嫌だからです。

元々人混みや込んでるところは好きじゃないし、電車は毎日座っていきたいので、始発電車なんかを狙っているうちに、列で並ぶのも嫌になって、あれよあれよと5時40分出発、6時30分出社の境地に行き着きました。

しかし、ボクが乗る1本前の電車は、かなり遠くの駅が始発なので、もう立ってる人がかなりいて、とても5時台の電車とは思えません。見る限り、職人さんとか、年配のリーマンとか、警備の人とかが多いように感じます。まあ、なんとなくですが、真面目でストイックそうな人たち?がたくさん乗っているように感じます。

この生活にしてよかったことはたくさんあります。

メリット①交錯する仕事軸
駅までの通り道で、夜勤を終えて帰ってくるおっさんとか、派手でミニスカのお水系の姉ちゃんたちとすれ違うんですが、なんとも複雑な気持ちになります。だってこっちはこれから仕事モードなのに、向こうはひと仕事終えて家路につくわけですから。そういう仕事の時間軸が交錯するのが朝の5時台なのかもしれません。ボクと彼らとで、仕事の時間軸が180度違うんですね。思わず「お疲れ様」と声をかけたくなりますよ。こういう不思議な感覚は、この時間に出社する人にしか味わえないはずです。

メリット②地上に出た際の空
電車を降りて、地下鉄の駅の階段を登って見える川沿いの空がむちゃくちゃきれいなことです。今の季節はまだ日の出前なので、空の際(きわ)がうっすらと白くにじんでいるような光景ですが、人も少ないし、空気が澄んでいて気持ちいいです。

メリット③業務効率の向上
仕事の効率が格段に上がったことでしょうか。まずは事務所が静かで電話もないので、メールチャックやら対外的な対応は7:30頃には終わってしまい、あとはお昼まで自分の仕事に没頭できるわけです。これが例えば10時とかに出社する人は、その対応だけで午前中の貴重な時間を使ってしまうのではないでしょうか。

メリット④嫁さんと一緒の夕食
特段の飛び込みや急ぎの仕事がなければ、ボクは大体17時には退社します。まあそれでも少しは残業しているわけですが、そうすると嫁さんと一緒に夕食を食べることができます。食事って一人で食べてもあまりおいしくありません。やっぱり1日の出来事を話しながら誰かと一緒に食べる、これって幸せの基本だと思います。

例えば、映画イントゥ・ザ・ワイルドクリス・マッキャンドレスも、最後はひとりぼっちの荒野の中で、「幸せは誰かと分かち合ってこそ」みたいなことを書き残してますからね。

さて、こんな、いいことだらけの朝イチ出社ですが、一方でデメリットも少なからずあります。

デメリット①平行する時間軸
それは、他の会社の人から夕食に誘われたりすると、早くても18時スタートなので、どうあがいても20時頃までは付き合わなければなりません。しかし、ボクの場合、通常の人より2~3時間早く出社しているので(前倒しの生活リズムなので)、時間軸でいうと、通常の人の20時がボクにとっては22時~23時に相当するわけですよ。なのでもう眠い!早く帰りたい!となってしまうことでしょうか。

デメリット②お店の開店まで時間を要すること
例えば今もですが、主要なスーパーの開店時間は大体10時か、早くても9時なので、それまでは買い物に行けないことでしょうか。こっちは早く買い物を済ませ、家でゆっくりしたいのに、ボクの生活にスーパー側が追いついていないので、だらだら開くまで待たなければならないという。なのでその時間を使って、こうやってブログを書いてるわけですが。

まあともあれ、その人の生活のリズムって大事ですよね。それはなによりも生活の「軸」になるものであって、その軸をしっかりさせておかないと、人はどんどん自堕落になってしまうように感じます。

さて、学生の頃には夢にも思わなかった「5時に起きる大人」になってしまったボクですが、その時間に起きるといつも思い出す映画があります。

その名も「トレーニング・デイ」。デンゼル・ワシントンイーサン・ホーク主演の刑事ドラマです。この映画の冒頭、このイーサン・ホーク(演じるジェイク)が朝5時の目覚ましを「バン!」っと止めるシーンがあるんです。これを見た当時は、朝5時起床の生活にあこがれと戸惑いを覚えたものですが、ボクもようやくその境地に達したものかと、少し感慨深いモノを感じた今日この頃です。久しぶりにまた見ようかな~。  

 

ビフォア~3部作

うわぁ~、前回書いたブログがなんと4月ですよ!もう8カ月も経っちゃいました。が、続編2作が9年ごとに作られたイーサン・ホークジュリー・デルピーのビフォア・シリーズにくらべると、まあ1年も経ってないわけで。

さて、世の中の皆さんは昨日が仕事納めの人が多かったと思います。今年も世のおじさん方、本当に大変疲れ様でした。ボクは仕事納めの半日が終わり、自宅に戻ってまず最初に何をやったのかというと、ずっと気になっていたビフォア・シリーズ3部作を連続ぶっ通しで見直しました!いや~とにかく最高の映画ですね。本当に大好きな映画です。

「①ビフォア・サンライズ恋人までの距離)、(1994年)」
「②ビフォア・サンセット(2004年)」
「③ビフォア・ミッドナイト(2013年)」

ネタバレはともかく、あんまり細かなあらすじを説明する気はさらさらありません。だって、いくら説明したって、この映画はストーリーを楽しむものではないからです。まあ、この映画を一言で説明すると、①で出会い、②で結ばれ、③で共に生きる男女の物語ってことになるんですが、まあとにかく、この二人はよくしゃべります。

冒頭から終りまで、ただひたすらにジェシーイーサン・ホーク)とセリーヌジュリー・デルピー)の会話(マシンガン・トーク)を楽しむ、これがこの映画の醍醐味なんです。

そして、イーサン・ホークジュリー・デルピーが、現実そのままに、映画の中でもその時間が経過してるって設定が素晴らしい。なので二人とも、第一作では25歳だったのが、第二作では34歳、第三作では43歳と、それなりに年を重ねてるんですね。まあ、二人とも2025年の現在では、すでに50代半ばになってますが。

しかし、この二人の掛け合いは、絶対に演技には見えません。しかしきちんと台本があってこの掛け合いをしているわけですから、この二人の演技力はもう尋常じゃありません。アドリブではないのにアドリブっぽく見せる演技、こんなのは実際にカメラの前で自分で試しにやってみれば、その難易度の高さがわかるはず。いや~やっぱりイーサン・ホークジュリー・デルピーは天性の役者ですね。

で、この映画を見て何がわかるのかというと、結局2人は第一作からほとんど変わってないってことなんですね。今回ボクが笑ったのは、第三作でジェシーセリーヌに「君は狂っている。君と半年以上一緒に居れるのは、世界でボクしかいないだろう」というセリフです。これってボクもたまに嫁さんに言うので、いや~ツボでした。

それに第三作終盤のタイムマシンの話も最高!これって実は第一作で、ジェシーセリーヌを列車から一緒に降りようと口説く時の「未来から現在へのタイムトラベル」の話と同様に、ジェシー(イーサン)の持ちネタ、というか決めセリフなんですよね。

第一作では、『君は現在の夫に満足できず、ふと、昔に自分を通り過ぎた男達を思い出す。その内の一人がボクだ、そしてボクと一緒に過ごした一夜を思い出す。で、結局はその男が退屈だったことを知り、今の夫に満足するはずだ。なのでまずは、ボクと一緒にその一夜を過ごそうよ?』みたいな誘い文句だったんです。

それが第三作では、大げんかの後、ジェシーのタイムトラベルネタが炸裂します。『82歳になった君からボクは手紙を預かった。その手紙を読んでもいいかい?未来の君はこう書いている。南ペロポネソスでの一夜は最高だったと。で、僕たちは今どこにいる?その南ペロポネソスにいるじゃないか?(なので、仲良りしようよ)』みたいな許し文句なんですね。

この辺が3作を通してみると色んな部分でつながっていて、地味に心を揺さぶられました。そりゃ何年も一緒にいれば、お互いに嫌なところも見えてきます。結婚というのはするのは簡単だけど、それを継続する事の方が大変なのは誰もが実感するところ。

そこで特に重要なのは、ものすごく単純ですが、夫婦でちゃんと会話するってことだと思います。劇中の二人を見ると、まあとにかくあきれるほどいつもベラベラどうでもいい話しをしてて、けれどすごく楽しそうなんですよね。

ジェシーセリーヌも、ずっと一緒にいるのは、お互いの話を聞くのが好きだからなんです。それがどんなにくだらなくて、どうでもよくて、取るに足らない話でも。

第一作でセリーヌジェシーに、「もしも神がいるとすれば、それは人の心の中ではなく、人と人の間にいる」みたいなことを言いますが、その「人と人の間」をつなげるのはやはり、言葉(会話)でしかありません。

なので二人は、どんなにいがみ合っても、結局は会話でつながっているってことなんだと思います。まあ、それを壊すのもまた言葉ではあるんですが。

いずれにせよ、どんな些細なことでも、一緒に会話できる人がいる、それがいかに幸せなことなのか、そういう事に気づかせてくれるのが、このビフォア・シリーズです。ぜひ年末年始はこれをみて、世のおっさん達は奥さんと会話してみてはいかがでしょうか。

喜多川泰さんの本こそ、日本の新たなる希望!

さてさて、そろそろ待ちに待ったゴールデンウィークですね。一足お先にすでに休みに入った方もおられるかもしれません。もう世界がランセルノプト放射光に包まれ、光り輝いて見えるのではないでしょうか。

さて、喜多川泰さんの書籍群ですが、ボクはこのような作家さんが我が国にいる奇跡、そして喜多川さんの本にたまたま巡り会えた幸運、それらすべてをひっくるめて、ただただ、単純によかった!と心底、神に感謝しています。

何がすごいって、「人生とは?働くとは?仕事とは?生きるとは?」などなど、そういう人間にとって本当に大切で根源的なことを教えてくれる本なのに、巷に溢れかえっているビジネス書や自己啓発本とは一線を画し、一つの物語(ストーリー)として小説の中に落とし込まれているってことなんです。

だって、生きるために必要なこととは?幸せな人生を手に入れるためには?やりがいを持って取り組める仕事に就くためには?などなど、こういうことがただ箇条書きで示されただけでは、それらの一文が心を打つことはほとんどありません。なぜならそこにはストーリーがないからです。単なる著者の武勇伝、自慢話、オレはこんなにすごいんだ話でほぼ埋め尽くされているからです。

しかし喜多川さんの本の中では、そういう事象が魅力的な主人公が体験するストーリーとして語られますので、まずはそのストーリーに引き込まれ、続きが気になり、あれよあれよと読書が進み、気がつくと心地よいカタルシスに包まれるわけですよ。随所で心を打ち、魂が揺さぶられ、時にボロボロ涙を流しながら、最終的には深く静寂な感動に身体全体が包まれる感じというか。まるでヒートテック

そういう読んだ人の人生を一瞬で変えてしまうような、魔法のような力が喜多川さんの本にはあるんです。しかもストーリーが斬新であり得ないほどおもしろい!

ボクは喜多川さんの本を初めて読んで、笑って、励まされて、泣いて、落ち込んで、感動して、揺さぶられて、正直、完膚なきまでに圧倒され、打ちのめされ、そして屈服しましたね。ボクは昔、何でもいいので、読者を感動させるような文章を書きたいと思っていました。読んだ人を勇気づけ、生きる力を与え、人生は捨てたもんじゃない、人は何でもできるんだ、世界はすばらしいっ!とまあ、読んだ人がそう思ってくれるような文章が、なによりもこの国には必要じゃないのかと思ってました。

しかし、すでにその偉業をすでに達成したとんでもない人がいるじゃないですか。それが喜多川泰さんなんですよ。どうしてこんな本が書けるのか、こんなストーリーを思いつくのか、本当にすごい。きっと日本中に、そして世界中に、この本を無償で配布すれば、世の中は格段によくなるのではないでしょうか。

なんですか、イギリスのスターマーとかフランスのマクロンとかEUのフォン・デア・ライエンなんかのアホどもや、我が国の無能な政府が、未だにウクライナ支援、武器援助を!などとの吠えていますが、武器じゃなく、なんで喜多川さんの本を送らないのか?本気でそう思います。

・SDGsを教えるくらいなら、
・脱炭素のためにエネルギー賦課金を電気代に上乗せするくらいなら
・給食や高校を無償化するくらいなら、
子ども手当を支給するくらいなら、
・消費税を上げるくらいなら、
・米やガソリン代や電気代を上げるくらいなら、

「喜多川さんの本を無償で配布しろ!」と世界の中心で叫びたいですね。

マジで人生変わりますよ。1日の重みも変わります。生き方も変わります。お金の考え方も変わります。人への接し方も変わります。つまり、これまでの自分とは劇的に変わります。

それだけのことができるのは、お金でも武器でも政治でも、ましてやメディアですらありません。ペンは剣よりも強かった時代はとうに過ぎ去りました。

なぜか?それは世の中の大半が、拝金至上主義、つまり「金儲けこそ全て!」という価値観で塗りつぶされてしまったからです。そして「本」までもが、です。

本なんて大半のビジネス書がもはや自己宣伝の自慢話に塗れてますよ。

でもそうじゃないんですね。それができるのは、本来は人の想いや願い、そして熱意や情熱のはずです。そしてその想いや熱意をもって、教育、政治、メディアが機能してさえいれば、ここまで狂った世の中にはならなかったはずです。

ただそのためには、それをなすものに確固たる「覚悟」と強い「意志」が必要で、残念ながらそれを備え持った教育者、政治家、メディア関係者はかなり少数だと思います。彼らもまた弱い1人の人間たちなわけで、ただひたすらに金儲けの道具程度にしか考えていないからです。おそらくは大半のビジネス書もそうかもしれません。

なので、今の教育、政治、メディアの全てが、喜多川さんの想いや熱意(それと愛も)の詰まった、たった一冊の本にすらかなわないんですよ。

そういう今のメディアやビジネス書があおりに煽る価値観を根底から覆し、弱い僕たちに勇気と希望を与えてくれる本、それが喜多川さんの本なんですね。ちなみに少しだけ喜多川さんの本を引用すると、
生きる理由、勉強する理由、働く理由、人生を豊かにするもの、幸せになるために必要なもの、欲しいものを手に入れる方法などなど、これら全ては「お金」なんかじゃありません。その辺は是非、喜多川さんの本を手に取り、自分の目で確かめてください。

まさに喜多川さんの本は「あらたなる希望」!です。さて、若者でも、新入社員でも、中堅でも、オヤジでも、おじいちゃんおばあちゃんでも、ボクは我が国の全ての人に言いたい、まずはこのゴールデンウィークに一冊でもいいので、喜多川さんの本をブックオフで手に取ってみてはいかがでしょうか。絶対にその後の人生が変わります!

(ちなみに今、下に商品画像を貼っている時に気づきましたが、「100万部」とかって、結構若い人は読んでるのかな。じゃあ、まだまだ我が国も捨てたもんじゃないのかも)