GIGI日記~映画とか本とか~

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映画「ブロウ」にみる幸せとは?

評価:★★★★★

この映画、最高の映画です。で、なぜかこの映画の記事を書いていなかったので、書いてみることにしました。もう何十回見たかわかりません。長期の休みの時は必ず見ます。この映画とディカプリオ主演のキャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」とを合わせて、ボクは父子の絆2部作だと思ってます。しかしこの映画ももう、24年も前の作品なんですね。自分が年を取ったのをいやでも感じます。が、映像やストップモーションを多用する編集など、グッドフェローズなんかを巧妙にパクってて、スコセッシも顔負けの一級品に仕上がってます。そういえば、そのグッドフェローズの主演がこの映画でジョージの父親役を演じたレイ・リオッタでしたね。この映画はある意味レイ・リオッタの物語と言えるかもしれません。

さてさて、この2本に共通するのは父と子の深い絆です。世間的には息子は犯罪者なんですが、父は子に変わらぬ愛を持って接し、息子の成し遂げたことを、たとえそれが犯罪だったとしても息子を誇りに思ってるってことですね。そんな父親なので、当然、息子も父を尊敬しているんです。

一方で母親は子を恥に思っていて、子を決して許さないばかりか、警察に通報すらしてしまいます。因みにこの映画に出てくる女性は、意図的にかどうか知りませんが、ジョージ(ジョニー・デップ)の最初の奥さんのバーバラ(フランカ・ポテンテ)以外、ほとんどがいやな女です。ジョージの母親しかり、マーサ(ペネロペ・クルス)しかり、ディエゴの奥さんしかり。

さて、物語のあらすじとしては、Amazonとかウィキを見てもらうとして、一言で言うと、主人公であるジョージは、麻薬ビジネスで巨万の富を手に入れたあと、パートナーの裏切りや政変による銀行資産の没収などを経て、結局はおとり捜査で42歳の時に再逮捕され、物語はここで終わります。

この時ジョージは42歳で、その後何年収監されたのかはよくわかりませんが、史実ではたぶん3~5年程度で出所し、その後また52歳の時に再逮捕、結局は20年収監されることになったようですね。で、2016年(74歳)に出所したあと仮釈放違反でまた逮捕、2017年に出所し、2021年にホスピスで78歳の生涯を終えたようです。まあ一言で言うと、逮捕と釈放を繰り返し、人生の3分の1近くを刑務所で過ごした人生とも言えます。

ともあれ、刑務所で知識を経て「マリファナの学士」から「コカインの修士」に成り上がっていくイケイケドンドンのジョージは最高にクールでかっこいいです。度胸もあり、取引中にコロンビア人に肩を撃たれても冷静沈着、かつての仲間の本拠士であるパナマ諸島のノーマンズ・ケイという島に単身で乗り込んでいく姿はもう最高です。まあ、その後はボコボコにされますが。

そしてそんな目に遭っても、かつて裏切った仲間を恨むわけでもなく、自分の誕生日に来てくれたデレクには「もう忘れたよ。来てくれてありがとう」と感謝するなど、根の優しい、いい奴なんですね。しかし周りは海千山千の猛者ばかりなので、そこが逆につけ込まれる弱点ともなりえるという。

ここで思うのは、最初はジョージも麻薬ビジネスを金儲けのためにやってたわけですが、途中から金儲けそのものが目的になってしまい、結局自分の本当に欲しいものが何なのかがわからなくなってしまうということ。ただ、相手との駆け引きや、仲間との一体感、そして政府や法を出し抜く快楽も相当に心地よかったはずですが。

ですが、結局はそういう一時の快楽は長続きせず、豪邸に住んでも高級車を所有しても高い服を着ても決して満足できなくなってしまったんですね。そのことにジョージは42歳になってやっと気づくんですが、ボクからすると42歳なんてまだまだ若い、人生そこからじゃん!とも思うわけです。

そして、迷走するジョージに、物語の中盤、父が聞きます。

「ジョージ、お前は幸せか?」と。

これって最もシンプルな問いですが、ジョージは即答できません。なぜなら、幸せかどうかわからないからでしょう。あるいは、自分が何を求めているのかすら、わからなくなっていたからかもしれません。そして、結局、この物語で一番立派でわかっているのはレイ・リオッタ演じるジョージの父だと思いました。

そもそも人は「幸せとは何か?」なんて、日々の生活に追われて、あんまり意識しないで生きています。たぶんジョージの求める幸せは、家族が仲良く暮らし、父親は仕事をバリバリこなし、そこで子供がすくすく育ち、そして時を経て、あるときは父と息子が一緒に酒を交わす、たったそれだけなんですよ。

こう聞かれたとき、ジョージは子供の頃、父親に「自分も仕事場に連れて行ってくれ」とねだった時の自分の姿を思い浮かべます。たぶんこれがジョージの原風景、つまりはこれが幸せの象徴なんだと思います。

なので、二人で酒を飲むとき、必ずこういう決まり文句をお互いに口ずさむんです。

「常に風を背に受けて、顔には太陽の光を。運命の風に乗って、星と踊れるように」

要は「前向きに生きろ!」ということでしょう。これはアイルランドに古くから伝わる祈りの一節のようですが(詳細は不明ですが、レイ・リオッタアイルランド系なので)、そこは重要ではありません。そうではなく、父と子が一緒に穏やかにこのフレーズを口にすることこそ、幸せを象徴していると思うからです。

そしてボクはこの映画を見ると、自分にとっての幸せとは何か?そんなことをいつも考えさせられます。

・健康で、仕事があり、家には嫁さんと猫がいる。
・休暇は本を読み、映画を見て、ブログを書く。
・食材を買い、料理を作り、家族で一緒に食べる。
・散歩に行き、風景を見て季節の移り変わりを感じる。
・庭で植物や野菜を育てる。
・時に父や友と会う。
・仕事で成長する。

とてつもなく他愛のないことですが、ボクにとってはこれが幸せの全てですね。たぶんジョージの父もそれを息子に教えようとしてたんですが、目の前にあるカネやモノに目がくらんだジョージにはなかなか気がつくことができない。というか、気づいていたのかもしれませんが、もう引き返せなかったのかもしれません。

ジョージが引き返せた?のは、全てを失ったあとなのが悲しいです。なお、史実では、ジョージは最終的に釈放後、娘さんと再会して和解したようですね。まあ、それがせめてもの救いでしょうか。 

とはいえこの映画を、単なるドラック・ディーラーの末路(なれの果て)みたいな解釈では絶対に見てほしくないですね。

コロンビアの極悪非道なカルテルたちにも一歩も引かず、自分の美学を貫き、ユーモアがあり、それでいて仲間想いで肝の据わった男、そしてファッションもおしゃれで常にサングラスの伊達男、それがジョージ・ユング兄貴です!

本「論理的思考問題」に必要なこと

さてさて、結論から言いましょう。せっかくの年末年始だというのに、この本のせいでその内の4日間はこの本に費やしてしまいました。そういう観点からすると、とてつもなくヒマな人、時間をもてあましている老人とか、会社を辞めて毎日が日曜日のプーとかニート(この本の著者も元ニート)じゃないと読み切るのは厳しいですハイ。

そういう人でない限り、この本はおすすめできません。まず、この本は電車内で読めるような内容では全くなくて、一言で言うなれば「超難解な算数のドリル」みたいな感じで、紙に色々と書き込んで読み進めない限り、解説の意味がわかりません。ボクは結局B5版のノート2冊分をきっちり使い果たしました。

最初の2問ぐらいでその点を悟り、1問に1~2時間くらいかけてこつこつと読み進めました。年末から始め、終わったのが本日(1月4日ですよ)で、貴重な年末年始の時間をほとんどこいつに持って行かれました。

で、問題数は全部で67問あり、ボクが正解だったのは34問でした

そんだけ苦労して、1問に2時間くらいかけたケースもある中で、正答率はぎりぎり50%といった有様でした。

まあ、難易度が高い問題のほとんどは解けませんでしたし、その内の2問は解説を読んでも未だに意味がわかりません。

そもそもボクがこの本をなぜ買おうかと思ったのかというと、電車の広告にこの本の問題が出ていて、さっぱり答えがわからず、その答えが知りたかったからです。

その広告スペースには「気がついたら子供達が夢中で読んでいた!」とか「兄弟で(本の)取り合いになっていた!」とか「嫁さんが熱中していた!」とか、購買力をくすぐる文句が謳われていて、早速ボクは買っちゃいましたが、5問ほど解いてボクは思いましたね。

絶対に子供は最後まで読みません。というか読めません。たしかに子供でも楽しめる発想力や意外性を試される問題もいくつかありますが、おそらくは5問程度だと思います。それ以外はほとんどの問題がものすごく難解で複雑で高度にひねられていて、要は大人であっても、これを理解しながら読むのは「時間」と「紙」と「ペン」が必要です。

そもそもボクがなぜ意固地になって年末から本日(1月4日)までこの本と向き合い続けたのか?

それは、途中でやめてしまうと自分はもう二度と読まないことがわかっていたからです。

クイズだと思って買ってしまうと大変なことになるので、気をつけた方がいいですね。それよりもイメージとしては、数学とか論理力を磨くための授業があって、担当の先生が毎回1~2問ほど取り上げてじっくり解説し、それを生徒が質問しながら理解を深めていく、といったニュアンスに近い内容です。

この本の冒頭には「論理的思考」「批判思考」「水平思考」「俯瞰思考」「多面的思考」が重要であると書かれていますが、むしろ、それよりも大事なことは何か?ということを教えてくれるのがこの本の最大の業績かもしれません。

それはつまり、まずは問題をじっくり考える『集中力』、そしてわからなくても解説を読んで意味がわかるための『理解力』、さらには最後まで読み終えるための『忍耐力』、この3つがないと、絶対にこの本を読み終えることはできないと思います。

そもそも、問題をじっくりと自分なりに考えないと、解説を読んでも全く意味がわかりません。また、問題を解いたらすぐに解説を読まないと、つまり時間を空けてしまうと、自分の考えた際の思考を覚えていないので、解説の意味が全くわからないのです。

なので、1問を解きはじめたら、解き終わってその解説を読み終えるまで、ぶっ続けで読む必要があります。ですがボクの場合、1問解くのに1時間はかけたので、とんでもなく時間がかかり、そしてものすごく消耗しました。たぶん少し痩やせたと思います。

まあ総じて、この本は読む人を選ぶハイレベルな本だと思います。ボクは比較的数学が得意で、解けた問題の大部分は数学で解決しましたが、それでも正答率は半分ちょっと。つまりは数学が役に立たない問題もたんまりあるんですね。

そしてこの本を読みとはっきり言ってものすご~く疲れます。先も言ったように、集中力と理解力と忍耐力(根気)が求められるのはもちろん、さらに、意地と根性も必要だからです。

ただそう考えると、論理的思考のベースは「意地」と「根性」ということになりませんか?著者の野村裕之さん、教えてください。で、第2弾はもう出さないでください。ものすごく疲れるので。。。。

本「たった1%~」シリーズその②

さて、昨日に引き続き、勢い余って調子に乗って「たった1%のメンタルのコツ」も読んでしまいました。今度はこの本は、先の2作の著者である河野英太郎さんだけなく、もう一方、スポーツの世界でトップアスリートを対象にメンタルトレーニングを実践されている田中ウルヴェ京さんとの共著となります。

で、読みましたよ、さっそく。けれどやはり、あんまりボクには刺さらず、微妙に理屈っぽく、うすっぺらく、インテリチックで最後はもうダメかな~と諦めかけたその時です!最後の最後、

神が降臨しました~!

最後の最後、「あとがき」の田中ウルヴェ京さんの解説が素晴らしい!

なんとここ数日間、ボクがずっと悩んでいて強引に結論づけた部下のやる気問題について(2つ前の記事参照)、きっちりと論理的な解説がなされていて、なんてタイムリーな本なんだとびっくりした次第です。さて、それでは田中ウルヴェ京さんのあとがきの概要だけさらっと振り返りましょう。

なんでも、スポーツ心理学の領域では「心・戦・技・体」という4つのピラミッド構造を徹底的に意識するという考え方があるそうです。

で、まず一番下が「体」=フィジカル(Physical)、つまりは身体で、次に「技」=テクニカルとかテクニック(Technical)、つまりは技術、技(わざ)ですね。で、その上に「戦」=タクティカル(Tactical)、要は戦術です。そしてその上、ピラミッドの頂点に「心」=メンタル(Mental)、つまり心理があるというのです。

当然これはビジネスでも全く同じ話ですが、ボクが驚愕したのはその次のフレーズ!

なんでもこのピラミッドの根底に、「哲学」=フィロソフィー(Philosophy)という土台がしっかりと存在する!ということなんですハイ。
↓こんな感じ。

「心理」=メンタル(Mental)
「戦術」=タクティカル(Tactical)
「技術」=テクニカルとかテクニック(Technical)
「身体」=フィジカル(Physical)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー       
「哲学」、フィロソフィー(Philosophy)【土台・根底

そしてまず一番最初に、この「哲学」フィロソフィーを真剣に考えることが、トップアスリートの第一歩で、ここで徹底的にこの根底を自問自答するそうです。

「自分とは一体何だ?」~悶々
「なぜ自分はオリンピックを目指すのか?」~悶々
「自分のキャリアの意味は何か?」~悶々
「自分はなぜこの仕事をしているのか?」~悶々
「一体自分は何を成し遂げたいのか?」~悶々

などなど、ありとあらゆる面から徹底的に自問自答し、悶々とただひたすら自分と向き合い、自己認識を図るんだそうです。そしてここに、その人の「やる気(モチベーション)」や「自信(自分を信じること)」が含まれているのだそうです。これはその人の「働く理由(気づき)」や「人生観」と言いかえてもいいでしょう。

ボクはこの部分を読んではっとしましたね。

当たり前のことですが、やる気や自信、自分ならではのキャリアの理由や意味づけ、といったものは、他人から与えられるものではありません。それはなぜかと考えたときに、ボクは正確な(論理的な)答えが見つからなかったのですが、ようやく釈然としました。

なぜなら、自分と向き合えるのは結局は自分しかいないからです。

そこには当然、マニュアルもなければ正解もありません。なので、ただ悶々と自分と向き合い続け、自分で答え(行き先)を見つけるしかないのです。そうしないでただ闇雲に身体や技術だけを磨いても、結局は行きたくもないところに行き着くだけでしょう。

そして上記のピラミッドが、その上下をその人自身の「脳で考えること」で挟まれていることも特徴ですね。はじめに「考え(哲学)」ありきで(能力発揮の土台を作る)、最終的にも脳での「考え(心理)」に帰着する(能力発揮を実行する)という。

現在、我が国の新入社員は、その3分の1が3年以内に会社を辞めると言われていますが、おそらくはこのプロセスを踏んでいないためではないでしょうか。

とはいえボク自身も人のことは言えるはずもなく、そもそも今みたいにポジティブかつ前向きに仕事に向き合えるようになったのは、それこそ30代の後半になってからですね。しかしそれまでの間に、知らず知らずのうちにそういうプロセスはやっぱり踏んでいたようにも思います。そして、結果的にそうなったのはきっと、いつも応援してくれる人が社内にいたからです。

その人は年上の女性で、いつもやさしく微笑んでくれました。さて、新入社員の男子の皆さん、入社したら、まずは自分の味方になってくれる優しい女性を見つけましょうね!

(偉そうなこと言って、結局それかよ!・・・まあ男は単純ですから。。。。。)

絶対という名のファシズム

さてさて世の中の公園は落葉樹もだいぶ葉を落とし、秋の紅葉シーズンも終盤にさしかかり、都市公園の大部分が冬景色となってきましたね。空は青く澄み、朝の6時台は夜と朝の交差する時間帯で、空はほんのりと朝焼けに包まれ、世界は本当に美しい。朝散歩をしていて特にそう感じます。

さて何ヶ月か前にイチョウの枝が折れて、たまたまそれは通行人に直撃し、死者が出るという痛ましい事故が起きました。その際、樹木の専門家が、今後こういったことは絶対に起こしてはならない、などという発言をしました。

が、ここで断っておきます。自然相手に絶対はあり得ません。

そもそも、こういう倒木事故や落枝による死傷事故は数年に一度のスパンで必ずどこかで発生しています。おそらく死亡事故となると5年に1回程度でしょうか。しかし、よく考えてください。これはきわめて圧倒的に少ない数字であるということを。

・たとえば交通事故を見てください。交通事故の場合、1日で1,600件発生しており、死亡者数でみると年間3,500人、つまり1日でおよそ10人が亡くなっています。

・次に山岳事故の場合はどうか。年間で3,000件発生しており、死亡者数で見ると年間300人の方が亡くなっています。ほぼ1日で1人ということになります。

・一方で樹木の倒木等による事故はどうか、5年で1件程度ですよ!どうですか?これって驚異的な少なさですし、つまりは公園や街路樹の管理がそれなりに行き届いていることを示していると思います。

しかし、どうしょうもないアホ共がたくさんいて、テレビでセンセーショナルに取り上げられると、常識的には「運が悪かった」で済む話にも関わらず、公園の管理や点検が行き届いてないなどとトンチンカンなことを言い出し、国や地方公共団体が一斉に樹木の点検を始めたようです。

これって狂ってませんか?ではなぜ、1日で10人も亡くなっている交通事故では、何の対策も講じないのでしょうか。そもそも車を使うことを規制する、といった選択肢や議論はないのでしょうか。

ありえません。なぜならそれは、生活や経済がまわらなくなるからです。そしてこれって実はコロナのケースとよく似てます。コロナを収束させるために、ロックダウンとか自粛とか人々の当たり前の生活を規制したわけですが、それで何が起こったか?

経済は疲弊し、多くの企業が倒産し、自殺者や慢性疾患やフレイルが逆に増え、日本中で経済的にも身体的にも多大なるダメージを被りました。一方で、この時期のみ、CO2の排出量は減ったようですが、つまりはこの地獄の状態に持って行かない限り、CO2なんて絶対に減らせませんし、つまりは大勢の人に死んでもらって初めて達成できるという思想です。

常識的に考えて、都市封鎖とか経済の自粛とか自由の規制といったプロパガンダは、これらがもたらすのが地獄であることは、すでにコロナで人類は一度経験したわけです。

そこに共通するのは「ゼロにする」つまりは「絶対になくす」という思想です。しかし、そういう理想主義は大変な危険を伴うもので、ある意味、新興宗教原理主義、そして共産主義に似ていますね。

これが行きすぎるとどうなるか、都市公園の樹木や町中の大木を全て伐採することになるでしょう。なぜなら、絶対の安全を担保するためです。

さらに、公園とか自然の中の大部分を立ち入り禁止にせざるを得ないでしょう。山登りも同様の論理で、全ての登山道にコンクリやモルタルアスファルトで道を固め、つまずかないように階段を作り、危険な箇所は柵を設け、それ以外は立ち入り禁止にせざるを得ません。それが自然相手に絶対を求めるための手段です。そしてこれもまた、数百年に一回の地震津波に備えるため、景観を犠牲にしてスーパー堤防なんかを作ってしまった市町村と同様の発想です。

そんな状態であなたは山登りに行きたいでしょうか。公園に出かけたくなるでしょうか。その町に行きたくなるでしょうか?

これって究極の管理社会で、山を登るのも公園に行くのも全て安全なルートを国なり自治体が整備し、それ以外は禁止されるという、ファシズム社会とも言えると思います。さらにはその設置したルートの点検や補修で、毎年相当な予算が永久に必要になりますので、さらに税金が上がるでしょう。

さて結論ですが、それならどうすればいいのか、人口密集地や交通量の多い街路樹などについては定期的な点検は実施すべきですが、それ以外は基本的にほうっておけばいいということです。

なぜなら、家の外に出れば、それはもはや危険なことはいくらでもあるからです。外に出れば当然、交通事故や犯罪者や通り魔などの危険はもちろん、山や川に行けばハチやアブ、チャドクガとかヘビとか、時にクマに襲われたり、遭難したり、滑落したりと、つまりはそれが家の外という世界なんです。別に山や川ばかりでなく、近所の公園も同じです。

それなのに、マスコミにセンセーショナルに報じられると、必ず専門家という人間が有象無象現れ「今後こういうことは絶対にあってはならない!」などと、鼻息荒く、荒唐無稽な理想論を振りかざすんですが、これは一種のファシズムであるとすら思います。

そんな時こそ、我々は常識を働かせなければなりません。「そうですか、それは運が悪かったですね、でも運命ですね、受け入れなければいけませんね」と、本来ならそれで終わる話ですが、上記のようなニュアンスでマスコミが伝えるものだから、事故に遭遇した遺族らがその憤りの矛先を国や行政なんかに向けるのでしょう。

その気持ちは一応わからないでもないですが、そういう危険もあるのが外の世界で、それを許容して生きることこそが人生、というものなんです。

そしてそれは、残念ながら人間が経済活動を続け、自由を謳歌するための代償とも言えるものです。もしもそういう悲劇を絶対になくすためには、車の使用を規制し、経済活動を縮小させる一方で、町や自然の中の大部分に歩行路を設けて管理し、それ以外は立ち入り禁止にする以外の方法はありません。

ただし、なにより、世界には危険だからこそ美しいものが溢れています。だからこそ登山家は山に登り、自然に挑戦しつづけ、そしてその果てに至高の風景と達成感を味わうんだと思います。

そしてこのことをボクは、実はこの国の行く末にもつながる大きな命題だとすら思っています。というのは、ドラマや映画、ビジネス書やハウツー本ですら、再三「失敗してもいいからまずやってみろ!」とか「安全よりも、まずは冒険しろ!」などなど、失敗よりも挑戦、安全よりも冒険がもてはやされています。しかしその一方で、なぜかそれとは相容れない究極の安全や絶対の安全を声高に叫ぶ人たちが増えています。

おまえらいったいどっちなんだよ!と叫びたいですね。

こういう価値観の矛盾に毎日晒されたおかげで、一体どっちに行くべきなのか、国としてどういう方向を目指すべきなのか、そして国民にどうあってほしいのか、全く意味不明な芯のない国になってしまいました。

本来そういうことは自分で判断するものなので、国なんてどうでもいいとも思いますが、結局はその国が子供達の教育方針を決めているわけです。そして今後この国を支えていくのは子供達です。そんな子供達に、SDGsとか脱炭素とか再エネとか無駄で誤ったプロパガンダばかりを教え、絶対安全神話の教育を施すとどうなるか、言うまでもなく、この国は亡国の一途をたどるでしょう。

絶対に安全な超管理社会の国なのか、あるいは国民自身が自分で考え行動して責任を取る国なのか、さて皆さんはどちらの未来を望むでしょうか?

本「たった1%~」シリーズ

昨日をもって、私の今年の業務が完了しました。っていうか、今朝も仕事をしてしまいましたが。

今年もまた色んなことがあった年でしたね。特にトランプ大統領の再選は、この狂った世の中における一筋の希望と言うか、2020年の不正選挙を目の当たりにしていたボクにとっては、非常に価値のある勝利でした。しかもその傍らには、イーロン・マスクやトゥルシー・ギャバードさん、さらにはロバート・ケネディ・JRさんもいるなんて、一体なんて人たらしなんだトランプさんは!とびっくりしたものです。

「人たらし」とは、当然いい意味ですよ。人の心を打ち、当時の敵も味方に引き入れ、またそれだけの大きな器もあるってことです。そこがトランプさんの最大の能力ではないでしょうか。

さて、早速、休みの一日目に、この「たった1%の仕事のコツ」「たった1%のリーダーのコツ」を読みました。もちろんいい本ですし、この本を書いた河野英太郎さんもまたすごい人なんだと思います。

けれど私には、やはりなんとなく馴染めませんでした。まあ、こういうビジネス書はその程度の期待度で読むのが一番ちょうどいいんですが、ただ一点、最近立て続けに読んだビジネス書の傾向として、どうしてもボクが看過できないことがありました。

それは、上司=悪、部下=正義という二元論に陥っていることでしょうか。まるでロシア=悪、ウクライナ=善みたいな。

この本にも、組織には当然ダメ上司がいる前提で書かれていて、一方で、なぜか部下の場合は、部下はみんな成長したいと思っている、そうでないならそれはあなたの責任である、部下はみんなダイヤの原石であるみたいなトーンで書かれています。

はっきり言いましょう。組織には、上司にも、同僚にも、そして部下にも、さらには新人にも、ダメな奴は掃いて捨てるほどいます。

おそらく著者の河野さんは東大出のエリートなので、たぶんそこまでレベルの低い人間が採用されるはずもない会社にしか属したことがないんだと思います。

もちろん私は一切学歴は信用しませんし、聞いたことのない大卒でも優秀な人間はたくさんいると思ってます。ましてや学歴なんて18歳程度の時代の暗記力だけでしょ?とも思います。けれども、その18歳当時に、暗記するというきわめて苦痛なる習慣を、自分なりに楽しんで実践した経験を持っていること自体、やはり東大生はそれなりの人間が集まる場であるとも思っています。

さて、ダメな部下の話に戻りましょう。私の言うダメな部下とは、別に専門的な知識や技術を持っていない部下というわけではありません。

そうではなく、きわめて簡単なこと、つまりは朝夕の挨拶と、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)、そして謝罪が満足にできず、かつやる気のない人間ということです。

さて河野さん、こういう部下につかえるテクニックやコツはあるのでしょうか?

答えは一つ、ありませんね、絶対に。

私はそんな部下にこの7年間、何度もそのことを根気よく伝えましたが、やはりダメでしたね。そして彼は、出張に行ってもかならず毎晩、缶ビールとおつまみで遅くまで飲むことを日課にしているようで、毎日眠そうな目で翌日を迎えてました。そして決まって「自分は朝が弱いんでっ!」と、悪びれることもなく言い訳をしていました。いやはや、こういう部下も少なからずることを河野さんには知ってほしいと思います。

そんな彼ですが、プライドだけは高く、そして自己評価も高く、どんなにミスをしても、たとえば「すみません、今度は気をつけます!」といったように、謝罪することも決してありませんでした。

さてここで考えてみてください。以下のシチュエーションで、あなたならどうするでしょうか?

①あなたはとあるイベントの主催者です。その日のイベントは、他の団体から複数人のスタッフを招いて出し物を依頼していました。
②その出し物は準備が大変で、その団体のスタッフさんと一緒に事前準備が必要です。
③会場にはすでに、その団体から出し物のための荷物(段ボール)が到着しています。
④会場にはまだ、その団体のスタッフは一人も到着していません。毎回、スタッフさんらの来る時間もまちまちで、そのため、準備がイベント開始直前になることもしばしばです。
⑤なお、このイベントは自分が担当になって5回目で、団体のスタッフさんとも顔見知りです。

さて、あなたならこの時間をどう過ごすでしょうか?たぶん色々な回答があるかと思います。

・何時に来るか正式にはわからないので、控え室でゆっくり待っている。

・そもそも④が問題で、集合時間を決めておかないと待ちぼうけになるので、次回から集合時間を決めるようにする。

・スタッフさんが来るまで、ホテルの自室でテレビを見て過ごす。

まあ、色んな時間の過ごし方があるでしょう。ちなみにこの時間の過ごし方で、その人、その社員、その部下の本質が見えてくるかもしれません。

私なら、自分が把握している範囲で、会場のセッティングなど、先に準備を進めておきます。スタッフさんらがいつ来てもいいように、その出し物の荷物(段ボール)を開けて、中身をテーブルに並べたり。
そうすることで、スタッフさんらが到着した後、スムーズに準備に取りかかれるよう段取りをしておきます。

ちなみに彼の場合は、会場の照明も付けずに、ホテルの自室で休んでいました。私は会場が真っ暗なのにたまたま気づき、その後で彼に上記のことを伝えました。

ですが、彼は怪訝な顔をして、「そこまで必要ですか?」と自信たっぷりに言い放ちました。ボクは、そう言い放った彼の顔を一生忘れません!

それを聞いた時、私と彼では全く考え方が違うことに気づかされました。よくビジネス書には、自分の価値観を押しつけるのはよくない、あなたの常識は他者の非常識とか、大事なことは一から教えるべき、などと書かれています。

しかし、上記のようなことは、教えてどうにかなるものでしょうか?そこに気づかないのは教えてもらわなかったから、ではなくて、その人の仕事に対する「姿勢」そのものではないでしょうか?

私はこの「姿勢」というのは非常に重要だと思ってます。あるいは「やる気」とか「モチベーション(動機付け)」と言い換えてもいいかもしれません。これらは全て、他人にどうこう言われて身につくものではありません。その人の育った環境やそれまで受けた教育、そしてその人のそれまでの生き方なんかが深く関わっていて、これはもう教えるとかコーチングとかいう話ではないと思います。

さてさてその話の顛末ですが、ようやくというか、彼は退職することが決定しました。彼曰く「仕事の内容にずっと興味や関心が持てなかった。。。。」とのことです。

要するに業種とのミスマッチや不適正、自身の思い描いていた仕事内容との乖離と言いたいのでしょう。つまり、自分が活躍できないのは仕事内容や職場環境のせいだ、自分はできる人間だ、自分はもっと別のところで高いパフォーマンスを発揮できるはずだ、この職場ではない、自分は何も悪くない、といったところでしょうか。

ただ、最後に彼に言いたいのは、たぶん彼には興味のある仕事になんて一生巡り会えないということ。なぜなら、挨拶や報・連・相などの当たり前のことができず、謝罪もできず、目の前の仕事にも一切の努力や工夫をすることができなかったからです。

社会人になりたての皆さんは是非、覚えておいてください。挨拶とホウレンソウ、そして時に謝罪も必須です。ただし、謝罪も言い方次第です。「すみません、今後は気をつけます!」もいいんですが、そこをあえて「ありがとうございます。今後はがんばります!」としてみてはいかがでしょうか。ずいぶんとポジティブではないですか?

かつ、目の前のどんな仕事であれ、工夫できる点はいくらでもあります。そして一工夫することで、与えられた仕事を自分の仕事にすることができます。そうなってはじめて、楽しさを実感できるようになるはずです。

つまり、逆説的ですが、挨拶とホウレンソウと謝罪、そして上記の「仕事の一工夫」さえできれば、社会人としてのあなたは今後も絶対に大丈夫だと思います。新人君たちも是非頑張ってください。

 

映画「サウンド・オブ・フリーダム」とアメリカ大統領選

評価:★★★☆☆

これはどうしても見たかった映画で、長期出張から戻り、シビル・ウォーを観た翌日に速攻で見に行きました。

一言で言うとアメリカに入り込んだ大量の不法移民を背景に、そこで組織的な人身売買によって性奴隷にされてしまった南米の貧しい国の子供達の物語です。いやね、もうとても見るに堪えない物語ですよ。

なんでもこの映画は2021年には完成していたらしいのですが、相次ぐ妨害や嫌がらせにより、アメリカ公開が2023年まで伸び、そして日本でもようやく今秋、公開されるに至りました。ただしその上映館は最小限に絞られ、都内では5館しか上映されていません。なのでボクは日比谷シャンテに行きましたが、いつも行くシネコンとは違い、作りも古く小汚い感じで、少し残念な気持ちに。

で、映画ですが、主演のジム・カヴィーゼルがいい男過ぎて、その時点で物語の悲惨さが少し中和されてしまってます。このジム・カヴィーゼル国土安全保障省(DHS)の捜査官ティム・バラード役を演じるわけですが、その中でまあ何でもやるわけですよ。ペドフィリア小児性愛者)のふりをしたり、変態のふりをしたりと。けど、現実問題、こんな色男がペドフィリアのわけがないので、そこに違和感を感じますが、でも劇中のジム・カヴィーゼルのたたずまいがとにかくかっこいい!それに尽きますね。

確かに、とんでもなく悲惨で見るに堪えない映画ではあるものの、そういうやばいシーンはや陰惨なシーンはほとんどブラックアウトしていますので、正直、衝撃度は低いです。ただ、6歳とかの幼い子供達がさらわれたり、ベビーカーからひったくられたりと、メキシコとかコロンビアとかホンジュラスなんかでは、こんなことが現実に起こっているという事実が恐ろしい。

さらに、そういう南米の人身売買の組織犯罪グループも腐ってますが、なにより顧客であるアメリカ国内にも、大量にペドフィリアの変態のクズ共がいるという事実が非常に重いですね。これってもうどうすればよいのでしょうか。もはや救いようがないですよ。

アメリカという国はこの4年間のバイデン・ハリス政権によって国境はガバガバに開放され、犯罪者はソフト・オン・クライム政策であっという間に釈放され、万引きは10万円以下なら見逃されるという、社会を崩壊させる取り組みがなされてきました。全て、アメリ極左思想のなれの果てですよ。なお、今我が国もせっせとマネしようとしている、
外国人労働者の大量受け入れ
ジェンダー(LGBTQ)平等
夫婦別姓
ポリティカル・コレクトネス政策などなど
これらは、すべてこのアメリ極左思想がベースとなっています。
要は『家族の破壊、社会の破壊、歴史と文化の破壊、国家の破壊』を目指す思想です。

そうすることで、政府や世界のある特定のエリート層が、我々のような愚民を支配しやすくなるとともにお金もがっつり儲かるというのが目的です。WHOの進めるパンデミック条約なんかも、その流れの一つですね。

こういうことに気づかない若者なんかが、グレタ・トゥンベリちゃんなんかの活動家の影響なのか、こういう主張がかっこいいと勘違いしてしまっているのも大きな問題ですね。脱炭素もカーボンニュートラルもSDGsも全て、こういう世界の一部エリート層の金儲けのために考え出された思想なのに、連日のNHK日経新聞なんかの大々的なプロパガンダ工作のせいで、すっかり大人や議員まで騙される始末。

ご丁寧に会社のパンフにSDGsのこれとこれとこれを我が社は推進しています、みたいな内容を盛り込み、企業が率先して社会正義マンを気取る時代ですよ。いやいや世界は狂ってますね。

あらら、また「サウンド・オブ・フリーダム」から話がずれてしまいましたが、ボク的にはこの映画も悪くはないのですが、どうしてもこれをみると、今から20年前に公開されたトニー・スコット監督マイ・ボディガードを思い出してしまいます。こちらはデンゼル・ワシントンダコタ・ファニングが主演を務め、さすがは巨匠、素晴らしい出来映えで、ボクはこちらの方が好きですね。

ただし、サウンド・オブ・フリーダムは実話なので、そう考えるとこの捜査官ティム・バラードさんの抱える苦悩がヒシヒシと伝わってきます。多くの同僚が現実を直視できずにすぐに職を辞していくわけですが、彼は子供がたくさんいて、彼だけはどうしてもこういう悲惨な子供達を見捨てることはできないんです。なお、彼は現在は捜査官の職を辞してはいるものの、民間で同じような活動に力を注いでいるようです。

けれど、彼のような人間がなぜ捜査官を辞さなければいけないのかが理解できません。むしろ政府は、捜査員の数を増やしたり、捜査員のメンタルの負担をケアしたり、国境警備隊員と連携させたりと、もっと手厚いバックアップをするのが当然で、それと並行して不法移民の流入を一刻も早く止めるべきなんです。

そういう政策を全て廃止し、それとは真逆の政策を進めたのがバイデン・ハリス政権です。捜査員の数を減らし、犯罪者の不起訴を増やし、ソフト・オン・クライム政策を進めたこの政権こそ、打倒しなければなりません。

その事実には触れず、ハリスの支持率はトランプをリードとか、国内のハリス支持は7割とか、平気な顔で報道する日本のクソメディアは恥を知れ!と言いたいです。全員、ニフラムしてほしいですね。

なお、トランプさんの掲げる「アメリカ第一主義」とは、ウクライナとかイスラエルなどの国外問題(他国介入主義)ではなく、なによりもまず、こういう自国のアメリカに巣くう薬物の蔓延とか不法移民ビジネスを解決すべきという考え方です。ねえ日経のバカ新聞の皆様、これの何が間違っているのでしょうか?

ちなみにこのサウンド・オブ・フリーダムのパンフ、880円だったんだけど、前日買ったシビル・ウォーよりもさらに酷い代物です。メトロミニッツの方が高級感が(涙)!ペラいし、写真の画質はキャプチャー画像みたいに汚いしで、泣きそうになります。


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組織に適さない人々

さてさて、前回ブログが4月ということで、はや6ヵ月です。もはや全く書く余裕がありませんでした。昨年、新しい部下も入り、仕事も増え、出張も増え、一方で権限も増えたことで、それに伴う義務も生じ、なんだかんだと、あっという間の6ヵ月でした。

しかし、組織とは難しいですね。たとえば幹部の会議が月一でありますが、その目的は事業の進捗状況の確認と、異なる部間の情報の共有と、時に連携を促進する、まあそんな名目で実施されています。

その理念はとても聞こえはいいですが、会議に出席する大部分の人間が、本当はそんなことはどうでもよくて「仕事を増やしたくない」「早く終わってほしい」「伝えることなんてない」などと思っているわけですよ。

まあ、そんなことを思い知らされたこの6ヵ月間でしたね。毎回、資料を作り、事業の進捗を説明し、新規事業の提案や、さらにこのような会議のあるべき姿などについて報告と発言をしていますが、そもそも聞いているメンバー自身が興味がないので、馬の耳に念仏というか。

結局、幹部の意識が低く、仕事を増やしたくないといった自己保身型(現状以外の仕事を抱えたくない)の人間が増えると、その組織は活力をどんどん失い、やがては衰亡していく、という民主主義の末期症状が、例外なくわが組織にも蔓延しつつありますね

そもそも10人が集まれば、よく働くのは2人、普通が6人、働かないのが2人などと言われています。そしてよく働く2人を色んな職場から集め、働き者の10人が集まって会社を興しても、結局はうまくいかなかったり、あるいは同じ割合に落ち着くといったことも言われています(働き蟻理論)。

ただそれは、永久に給料等が保障されている公務員のような職場ならそれでいいかもしれません。しかし民間企業の場合、利益を出さないとそれこそ会社の存続に関わりますので、みんなで会社の利益を増やすための知恵を絞る必要があります。

そんな中、必死にアイデア出しをして試行錯誤を繰り返す人間が2割の場合、そんな会社は速攻でぶっつぶれるのではないでしょうか。

そういう危機感のない職員が増えると、おそらく組織は滅亡すると思いますね。そしてなにより、やる気や覇気のない職員や、朝の挨拶もろくにできない職員、そしてホウレンソウ(報告・連絡・相談)すらできない職員は、社会人としては終わっているように感じます。

ただ、ボクは別にそういう人間を否定しているわけではなく、そういう一般的な常識のを持ち合わせていない人間は、Amazonの宅配とか、ウーバーイーツとか、自分のライフスタイルに併せて好きなときに好きなだけ働ける仕事や職種を選ぶべきだと思います。

もしも何かの間違いで、若い人の中でこのブログを読んでいる人がいたら、これだけは伝えておきます。仕事で怒られたとき、もしも「自分が絶対に正しいと主張し、自らを顧みることのできない人」は、きっとその後も成長することは絶対にないでしょう。

日本のひどい政治家たちを見てください。岸田、河野、小泉とか、一切自身の失敗を認めませんし、むしろ失敗をひた隠しにします。情けないことに、そういう奴らがこの国の舵取りをする時代になってしまいました。日本はこのまま行けば、亡国の一途をたどるでしょう。

まあ、自分に自信満々で、自尊心が強く、「ホウレンソウなんてくそ食らえ、挨拶なんて間抜けのやることだ、オレはオレ、自分らしくだぜ!」などと思い込んでいるあなた、絶対に組織に属してはなりません。是非、一人で働ける仕事についてくださいね。