GIGI日記~映画とか本とか~

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その他「散歩という自由」

さてさて、自分のブログを読み返していて痛烈に感じました。というのは、最近の僕のブログの記事には「あまり内容を覚えていない」とか「ほとんど忘れてしまった」などという逃げの姿勢ないし適当さが非常に目立っていることに。

たしかに最近、というか先の休みから怒濤のUPを繰り返しましたので、それは致し方ないのかもしれませんし、また「覚えていない」ということ自体もまた立派な感想の一表現なのかも、と一瞬思いましたが、やはり逃げ腰、及び腰であったことは確か。まるであとがきだけを読んで読書感想文を書くかのごとく。

深く反省しましたので、そのような紹介をした部分は後日改めて詳細を個別にアップしていこうと思います。なにより、僕は映画や本の内容を思い出したいときに、この自分のブログの記事を見返したりする場合も多いので(というより、その意味もあってブログをはじめた経緯があります)「覚えてない」「記憶にない」などというどこかの政治家みたいなふざけた台詞を繰り返してしまうと、もうほとんど役に立たないというね。

◎さて本題です。僕はもともと外出があまり好きではない究極の自宅大好き引きこもりホームシック人間なのですが、ここ何年かは積極的に散歩に出るようにしています。まあ、仕事上の理由もありますが、せっかく近くにすばらしい公園(セントラルパークと呼んでます)があるのだし、僕の敬愛する勢古浩爾(せここうじ)さんの本(定年後シリーズなど)にも散歩の描写がよく出てくるし、真似して散歩するようになりました。

で、あらためて気づいたんですが「やはり・世界は・すばらしい!!」んですよ。

なんだか水野敬也さんの「それでも僕は夢を見る」みたいなノリになってきましたが、つまりはそれを実感できるのが散歩なんです。普通は人が外に出かける時って、基本的には目的があるわけです。それが何かを買いに行くためだったり、人に会うためだったり、お店に行くためだったり、あるいはある特定の場所に行く(観光)ためだったり、そういう諸々の事情から外に、つまりは世界に出て行くわけです。ちなみに僕は最近、なぜか外に行くときに「世界に行ってくるよ」と言ってます。って、なにがセカイだよ。

つまりは、A地点からB地点へ移動するという前提があって、その枠組みの中で人、物、場所、というファクターが付随しているだけで、そのファクターに囚われすぎているのがいわば現代人というわけでして。しかし、しかぁ~しです。実は「散歩」はそこから唯一逃れるすべのひとつ、つまりは「自由」なんですよね。・・・・ってほんとかよ。

尾崎豊が「15の夜」という唄で「自由になれた気がした~15の夜~♪」と歌ってましたが、これは何もバイクを盗んだからではなくて、目的もなく、人、物、場所、といったファクターから一次的に解放されて走り出したからなんですよね。

まあ確かに散歩の場合も、あそこ行って、ここ寄って、あそこでタバコ吸って、あっこまで行ったら戻って・・・・などという目的や目標とする場所は確かにあるにはあるんですが、ほぼノープランですし、その場その場で適当にルートも柔軟に変えますしね。

長々とくだらないことを書きましたが、つまりは「もっと皆さん散歩しましょうよ!」っていうことなんですよ。例えば村上春樹さんの「ノルウェイの森」の中で、ボクことワタナベ君と直子はただひたすらに街中を歩き回るだけの描写があるじゃないですか。僕はこの描写を読む度に無性に散歩に行きたくなるんですよね。ただ、街中は信号があったり車とか自転車が多いので勘弁~。

なので、公園の散歩、これが最高なんです。ただ公園といってもくそ狭い街区公園レベルではなくて、もっとでかい公園です。で、あまり意識してなかったので調べてみましたよ「都市公園」ってやつを。

そもそも都市公園というのは、①住区基幹公園、②都市基幹公園、③大規模公園、④国営公園、⑤緩衝緑地等の5つに区分されるようで、僕の街の場合、④と⑤はほぼ無関係なので無視して。で、さらにそれが以下のように細分化されています。めんどくさ。

①住区基幹公園・・ア)街区公園(50×50m)
       ・・イ)近隣公園(140×140m)
       ・・ウ)地区公園(200×200m)
②都市基幹公園・・ア)総合公園(10~50ha/東京ドーム2~10個)
       ・・イ)運動公園(15~70ha/東京ドーム3~15個)
③大規模公園・・・ア)広域公園、イ)レクリエーション都市(←もう無視します)

なんとな~く広さのイメージがつかめましたでしょうか。そして僕の街のセントラルパークは16haぐらいなので、上記区分からすると総合公園に該当するわけで、東京ドームにして実に3個分程度の広さ、ということが判明しました。あ~どうでもいい。つまり何が言いたいのかというと、散歩に必要な最低限の公園としては、②都市基幹公園レベルのものが望ましい、ということなんですね。

ちなみに僕が生まれ育った場所は近くに「①住区基幹公園」しかない最低の地方都市で、しかもその公園すら橋を渡った向こうにあり、挙げ句にそこに行くまでの道がちょ~狭くて車にぶつかりそうになること受け合いの最悪の街でした。もはやこの街の都市計画者があえて散歩者を極力出さないようにするために設計したとしか思えないほどのひどさ。あるいはナチの強制収容所の設計を下書きにしたかのような。

僕は常々思うんですが、引きこもりとか寝たきりのお年寄りが多い要因として、ある意味その町の設計とか町並みにも原因があるんじゃないのかと。だって、家のすぐ近くにみどり豊かな公園があれば、人は自ずとそこに出かけたくなるに決まってるじゃないですか。

さてさて、今後の30年間でわが国の人口は9,500万人を割り込む(40年後は9,000万人を切る)と予測されていますが、それだけ人口が減ってくると街中の至る所に空き家や空き地が増え、未利用・未管理のオープンスペースがあちこちに出現していくと考えられます。今でこそそういうスペースはすぐにタイムズなんかの駐車場になるのが関の山ですが、もはやそれだけ人口が減ってくると「いらね~よもう駐車場なんて!」という事になっていくはずです。その時に備え、それらのオープンスペースや社会資本としての公園などの緑地をどのように活用していくのか、そろそろ日本も本腰を入れて考えていくべき時期にきているように感じますね。まあ、個人的には公園やみどりを増やしてほしいだけなんですが。

なんだか話がみょ~な方向に行ってしまいましたが、わがセントラルパークのラクウショウの紅葉は実に見事で、その樹冠のトンネルの中から撮った写真が下ですハイ。そして、思いましたね、いや~、やはり世界はすばらしい!

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ラクウショウの樹冠の下から
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