GIGI日記~映画とか本とか~

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映画「ウトヤ島、7月22日」

評価:★★☆☆☆

いやいやかなり期間が空いてしまいました。毎年恒例のイベントのため、この1ヵ月間全く映画を見れない日々が続きました、もう地獄ですハイ。ので、その仕事から解放されたあと、速攻でTSUTAYAに寄ってずっと見たかった「ウトヤ島」を借りました。

この映画は以前にもブログで紹介したように、2011年に起きたノルウェー連続テロ事件の惨劇を、ウトヤ島を舞台として73分ワンカットで撮ったという衝撃的な作品なんです。

で、とんでもなく期待して見たんですが、なんなんでしょうかこの消化不良感は。娯楽性、メッセージ性、そして苦業性(娯楽の反対語)のすべてにおいて中途半端感が甚だしいんです、ものすごく残念ですはい。この映画は実話を元に描かれているのですが、それを知らずに見た人はおそらく一切楽しめないこと間違いありません。

一言でいうなれば小さな島(300m×300m程度)での壮大な鬼ごっことしか思えないんですね。そもそも犯人(アンネシュ・ブレイビクというガイキチ)は、ずっとズバズバ銃撃しながら移動しているので、その音を聞けばだいたいの位置はわかるにも関わらず、なぜか主人公のカヤはどんどん犯人に(音の方に)近づいていってしまうんです。ただ、犯人はスタームルガー社のミニ14というセミオートマチックライフルを使用していて、実際の銃声はバスッ!バスッ!っっていう変わった音なので、最初はそれが銃声だと誰も気がつかないんですよね。それと小さな島なので、反響して音源が捉えにくいといった事情もあったのかもしれません。

しかしまあとにかく、劇中ずっとそのバスッ!バスッ!という音を背景に走り回る若者たちの姿が延々と繰り返されます。ただ、どう見ても700人がこの島にいて逃げ回っているようには思えないんですよね。なんか100人ぐらいにしか見えないという。

確かに事件から8年足らずであの惨劇を映画化したことは敬服に値します。この映画を撮ったエリック・ポッペ監督って、もうものすごい人ですよ。そしてこの惨劇を決して忘れてはならないし、絶対に繰り返してはいけないという主張もわかります。しかし、そんなことが果たして本当にできるのでしょうか?

もはや銃乱射事件が恒例行事になってしまったアメリカもそうですが、こういう自動小銃や武器が誰でも買える国である以上、絶対にこういう事件はなくならないはずです。おそらく日本だって銃が簡単に手に入れば、瞬く間に銃乱射事件大国になりますよ多分ね。なぜなら、人間も世の中も完全じゃないからです。そしていつの世も、不平や不満、偏った選民思想を持つ輩はいくらでもいますから。

しかし、この消化不良の原因は何なんでしょうか。監督がただ事実(まあ、映画の内容は完全な創作のようですが)だけを描き、後の解釈は受け手に委ねる、といった最近はやりの舐めた創作手法はわからなくもありませんが、僕はもっと決めつけてほしかったんです徹底的に。

何をって、この事件の犯人であるアンネシュ・ブレイビクという奴がもう完全に逝ってしまっているクズだということをです。なぜ警察は射殺しなかったんでしょうか。そもそも、小難しい社会経済政治的な解釈は一切不要で、こいつは単なる大量殺人犯なだけで、それ以上でもそれ以下でもないんです。

こいつはご丁寧に犯行前に1,500ページに渡るキチガイじみた書記をアップするとともに、銃撃に疲れてくるとわざわざ事前に警察に電話してちゃっかりと「ボクちゃんもう疲れちゃったので自首しますので確保してください」みたいなことを伝えてたわけですよ。要するに単なるわがままで分からず屋の凝り固まったナルシストの小僧じゃないですか。

この事件を知って、ボクはノルウェーとかスウェーデンとかフィンランドとか北欧の福祉国家の限界を感じましたね。なにより一番気になるのは、受刑者の権利が保障されていて、刑務所内でプレイステーションなんかで毎日楽しく遊んでいるアンネシュ・ブレイビクがこの映画を見たか?ってことなんです。もし見たとすれば、こいつはその時絶対笑ったにちがいないって思ってます。

あっ、この映画の「カメラを止めるな」みたいな「ワンカット72分」とかいうお決まりの宣伝文句はほぼ無意味ですので、これからそれを期待して見る人は気をつけましょうね。