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本「数値化の鬼」「リーダーの仮面」「とにかく仕組み化」

忙しいさなか、安藤広大さんの書籍を3冊読みました。まず、このシリーズものすごく面白いです。特に「とにかく仕組み化」は素晴らしいと思います。

まあ、かなり売れているので、詳細はAmazonなんかのレビューを見ていただくとして、是非、ビジネスに関わる方は、こういう考え方もあるんだなという感じで読んでみてはいかがでしょうか。

で、結論から言うと、この本の通りに組織改善がなされれば、それなりに成果を上げられるのだと思います。しかしそのためには鉄の意志が必要です。そして当然のことながら、この書籍で書かれたことが、すべての業種・業態でうまくいくかというと、もちろんそれは無理でしょう。仕事内容はもちろん、そこで働く人々のレベルや、経営者の考え方や立ち位置で、うまくいくケースもあれば、むしろ退職者を増やす結果につながるケースもあるかと思います。

そこは当然ケース・バイ・ケースで、自身の会社で活用できる部分を抽出し、自社用にカスタマイズしたうえで、うまく仕組みを導入し、組織全体にコミットしていく必要があると思います。しかしそのための根回しや説得等の努力は並大抵ではないと思います。

僕が特に感銘を受けたのが、「組織が変わるというのは、組織の仕組みやルールが変わる、ということである」という部分です。これは確かにその通りだと思いました。いくら組織改善、経営改善などと言って、風通しをよくするとか、心理的安全性とか、モチベーションを高めるとか言っても、それはすべて形のない曖昧なものであるので、結局は精神論にしかなり得ず、最終的には気分だけが一時的に高揚しただけで終わってしまいます。

より具体的にどうすればよいか、それは数字を見て目標を設定し、その数字により成果を判断し、そしてそのプロセス(経緯)ではなく、すべて結果に応じて報酬を増減するという、まあ何というか、きわめてドライかつストイックな経営方針ですね。

また、「下手に部下を褒めるとそれでいい思って成長しなくなってしまう」「部下とは適度に距離を保ち、緊張感を維持する」「みんなが組織の歯車としての自覚を持ち、歯車なりの工夫をして成果を最大化する」「感情は抑え、一律に数字で公平かつ透明性を持って評価する」「組織にナンバーワンもオンリーワンも不要である」という、安藤広大語録が淡々と書かれており、なるほどな~と思いました。

そして彼の会社では、みんな上記のような考え方に基づき、生き生きと最大限のパフォーマンスを発揮して仕事をしているようなんですね。

しかし僕が思ったのは、そういう仕事のやり方って本当に楽しいのか?ということです。たぶん仕事なんだから楽しさは不要で、それは甘えであるし、部下の成長にはつながらないってことなんだと思います。

ですが、人間というのは不思議なもので、自分が楽しいと思うことは言われなくてもがんばってやるんですよね。一方、楽しくなくて興味がないと結局やらないし、やってもお粗末で陳腐なものになってしまうわけです。なので、仕事が楽しいと感じることは実は非常に重要なことだと思うわけです。

ちなみに僕がここで言う「楽しい」というのは、なにも「大勢で集まって酒飲んで大声出してバカ騒ぎする」などといったものではありません。まあそれもたまにであれば楽しいけど、毎日がそんな職場だったら、もううんざりです。

では、僕の言う楽しさとは何か?それは一言で言うと、自分の成長を実感できること、なんです。「できなかったことができるようになった」「自分の弱かった部分が改善された」「新しい知識を得た」「お客さんからお礼を言われた」「うまくプレゼンできた」とか、そういうことですよ。

そしてそういう楽しさこそ、バカ騒ぎの飲み会なんかとはレベルの違う充実感と達成感を味わうことができるはずなんです。なので僕は、一緒にやり遂げた部下に対してもお礼を言うし、がんばったプロセスも大事にします。

安藤さんの考え方の柱として、スポーツにはルールがあってすべて結果(数値)によって評価される、ならば、仕事も同様にルールがあって、数値や結果によって評価されるのは当たり前である、というものがあります。

確かにその通りかもしれません。しかし僕はスポーツが大嫌いでした。特にチームワークの必要な団体競技が苦手で、かつ部活内の雰囲気も非常に悪かったのを今でも覚えています。その影響で今でもスポーツは大嫌いで、なんとなくスポーツやスポーツ選手は人格が上というような思想が苦手です。

これってなんか「自然の豊かな場所では、感性豊かで健全な人間性が育まれる!」といった思想と似てますよね。

もしそれが真実であるなら、田舎とか郊外には犯罪が一切発生しないことになりますが、現実はそうではありません。なので、スポーツの考え方を職場に持ち込むのはできれば避けたいと思います。

いくら数字で判断・評価しろといっても、仕事はスポーツではありません。ルールを設けた方がよい場合もあるし、時にルールが弊害になる場合もあります。そしてあなたが上司の立場で、部下が頑張っているのをみると、「よくやった!結果は出なくても、またがんばればいいよ!」と言いたくなりませんか?

そしてそういう言葉をあえてかけないことが、本当に部下の成長につながるのか僕にはわかりません。なぜなら、自分のことを考えると特にそう感じます。入社当時、職場には優しい年上の女性がいて、その人がいつも笑顔で僕を励ましてくれたんですね。「がんばってるね。すごいね。そんなこともできるんだ」

今思うと、僕はこの女性がいなければとっくに会社を辞めていたはずです。一方で、こちらがどんなに頑張っても、ありがとうの一言もなく、こちらの業績は一切評価せず、些細な行動ばかりを責めたてる上司もいました。そして僕はこの人に対しては未だに憎しみの感情しかわきません。

じゃあなぜ僕が成長しなければいけないと思ったのか。それはそうやって励ましてくれた女性のため、そしてお礼を言ってくださったお客さんのため、もう、これに尽きます。そういう人たちのためにもっと努力しよう、もっとがんばらなきゃと思ったわけで、それが社会のため、職場のため、そして回り回って自分のためになるわけです。

なので、この本に感化されて、すぐに職場に導入しようと思ったあなた!十分気をつけてください。当然、導入すべき内容もたくさんありますが、なにより人間は感情の生き物であって、かつ、人間というのはそうそう簡単には変わらないものです。

僕は安藤さんに甘いと言われても、頑張っている部下には素直に「がんばってるね。ありがとう!」と伝え続ける上司にしかなれないでしょう。けれど、それに甘えずに努力を続ける部下であってほしいし、その思いは「決して褒めない」というような行動で示すのではなく、僕の心の中にしまっておくことにしますが。。。

ちなみに安藤さんの経営する(株)識学という会社ですが、グーグルでの口コミ評価が猛烈に低くて笑いました。

我が社では、識学を導入してから全員が退職しました。今では家族とバイトでどうにかやりくりしてます。今では支払った○○万円がバカらしいです。

一度連絡を取って以来、識学から再三勧誘の電話がかかってきます。人の迷惑になるようなしつこい営業はどうかと思います。まずは識学で自社の方針を改善すべきではないでしょうか。

などというニュアンスの口コミに溢れてて、もはやかわいそうになるくらいです。当然、半分はやっかみもあるのでしょうが、ある意味、これが識学という考え方、マネジメントの限界なのかもしれません。仕事はゲームやスポーツではありませんし、感情を持った人間同士で行うものであって、そこに共通に通用するルールやマニュアルのようなものはありません。

ただ、部分的にはものすごくいいことや共感できることも書かれていますので、その中でこれだという箇所を見つけ、少しずつ社内に取り入れていくというのがよいでしょう。要は「外からの物をそのまま受け入れるのではなく、自社用にカスタムしたうえで導入する」といったように、これまでの日本社会がさんざん繰り返してきた欧米社会の導入と同じ考え方ですね。

この、一度受け入れつつ、日本の歴史や文化と照らし合わせたうえで、それらを融合させて日本風にアレンジして調和させる、といった姿勢こそが、日本社会の醍醐味です。

最近のコロナ対策をはじめ、ウクライナ支援、ロシア敵視、イスラエル擁護などもすべてそうですが、欧米の主張をそっくりそのまま受け入れるのはもうやめた方がいいですね。

パレスチナ紛争とネオコンの影

いやいや前回の更新がなんと6月ですか。もう5ヶ月近く更新していませんでした。それはつまり、ものすごく多忙な日々が続いていたということですね。西日本を中心に10回を超える出張、1週間のイベントの運営を2回、その合間に新規採用のための情報収集と根回しなどなど、今年は今までにない動きをとったために、これまでにない神経と能力を使っています。その辺はまた別の機会に整理したいと思います。

しかしその間、世界はどんどん不安定化が進んでいますね。相変わらず日本のメディアは嘘ばかりで、全く信用するに足りませんので、Youtubeをベースに情報を得ておりましたが、さすがに10/7のハマスの件はびっくりしました。

ただ、一つ確実に言えるのは、こういう有事の際は必ずアメリカのネオコンの影があるってことですね。ウクライナ戦争も同様でした。笑ったのは、このハマスイスラエルの紛争で、ゼレンスキーが完全に世界から忘れ去られてしまったということです。その少し前に、ゼレンスキー夫妻はさらなる支援を懇願しにアメリカに行ったわけですが、アメリカの政府高官にほとんど相手にされずに、むしろ煙たがられて、ひどい扱いを受けたわけです。なので逆ギレして奥さんがカルティエで1億6千万円の買い物をして帰ったというエピソードがありますが、これが戦争中の元首のやることでしょうか。

で、そのすぐ後にハマスイスラエル奇襲攻撃があって、もうすっかりメディアはイスラエル一色になっちゃって、ゼレちゃんは利用価値がなくなってポイ捨てされました。

要はアメリカのネオコンというのは、さんざん人権とか民主主義とか言ってますが、ウクライナ住民とかガザ住民とかパレスチナ人なんかのことははもちろん、自国のアメリカ人のことすら何一つ考えていないってことですね。ただ単に自分がお金儲けができればいい、そのためには何十万人死のうがかまわない。そういう悪魔のような奴らです。

そういう奴らに真っ向から対峙し、そいつらをたたきつぶすために戦っているのがプーチン大統領で、ほぼロシアの勝利が確実になりつつあります。西側の支援を失ったウクライナはこれまでに50万人の兵士が死亡し、年内いっぱいもたないのではないでしょうか。

すでに女性までが強制的に徴兵されているようですね。ひどい話です。
この50万人という数字はまあとんでもない数ですが、たとえば東京都江東区、栃木県宇都宮市、千葉県松戸市、千葉県市川市の人口がだいたいこの50万人の都市です。その都市の人間が全員いなくなってしまったという規模ですよ。

イラク戦争では2003年以降の20年で20万人が死亡、シリア内戦では2011年以降の10年で50万人が死亡しました。第二次大戦では、くそアメリカの原爆のせいで、広島で14万人、長崎で7万人が死にました。先の東日本大震災での死者は2万人程度です。

まあこのように見ていくと、わずか2年弱でのウクライナの死者50万人というのは、もうとんでもない死者数であることがよくわかるはずです。

こういう大惨事を世界中で引き起こし、ウクライナで十分に儲けたので、じゃあ次はイスラエルで、というのがネオコンの魂胆でしょう。アメリカのブリンケンとかオースティンとかビクトリア・ヌーランドなんかが中心に動いていますが、その背後にはイスラエル・ロビーがたんまりいますよ。なんでもアメリカ下院でマイク・ジョンソン下院議長のもと、イスラエル支援の予算案が通過したそうです。こいつ、ネオコンじゃないよね。トランプよりとのことですが。。。。

ただ、そういう構図はすでに100年以上前からあって、日清、日露も、第一次・二次世界大戦も、朝鮮戦争ベトナム戦争も、その後のアフガン戦争やイラク戦争、そして東欧のカラー革命も、それにつながるアラブの春イスラム国なんかも、全部こいつらの影がちらついてるわけです。それがインターネットの発達により、誰でもどこからでも情報発信ができるようになって、ようやく一般人でも知ることができるようになったってことですね。

一方イスラエルの場合は、この2年であまりにもめまぐるしく中東情勢が変わってしまったということがありますよね。トランプさんの時は歴史的なアブラハム合意がなされ、対イラン包囲網ってことで、イスラエルと他のアラブ諸国が足並みをそろえる方向でした。ですが、バイデンになってそれがひっくり返り、イランとサウジの歴史的な国交正常化を皮切りに、シリアのアラブ連盟復帰など、スンニ派シーア派の対立構造が軟化し、「パレスチナ大義」という旗の下に、対イスラエル路線が徐々に構築されるに至りました。

これに焦ったイスラエルの極右派シオニスト連合が、今回のハマス紛争を引き起こしたように思います。そもそもハマスというのは、イスラエル側がパレスチナの暫定自治政府であるファタハと対立させるために育てた組織です。2国間解決、つまりパレスチナ自治区を正式な国家として認めるという方針に断固反対するイスラエルの極右シオニストたちは、絶対にそれを容認したくないので、今回のハマスの奇襲を手引きし、それを大義名分として、ガザ地区からパレスチナ人を永久に追放し、かつてのイスラエル王国イラクやシリア、サウジにもかかる範囲の領土)を取り戻すという方針なのでしょう。

しかし、そんなことは世論がおそらく許さないので(←なんとなく最近はこの傾向で、ウクライナの時と違ってイスラエル擁護が微妙に少ない)、最終的にはパレスチナ国家の正式な独立という流れになり、遠回りの二国間解決が成就するというように、そこまで見越してのネタニヤフの目論見なのかもしれません。一方で、ガザ地区近海の海底ガス田の利権を巡っての紛争という見方もあり、はっきり言って何が真実なのかはよくわかりません。

もうひとつ疑問なのは、なぜエジプトが同じイスラム教徒なのにガザ市民をなかなか受け入れないのかってことです。これはハマスムスリム同胞団パレスチナ支部であることが理由です。ムスリム同胞団というのはイスラム原理主義で、イスラーム法(シャリーア)による神権政治を唱えているので、大統領の上に宗教指導者がいるイランと同じ思想信条なわけです。一方で世俗的というか、サウジのように絶対王政の国とは仲が悪かった(反目し合っていた)わけです。なにより、サウジにとってイランのような政権転覆が起きたら一大事なので。

エジプトというのは、アラブの春以降ムスリム同胞団が政権を握っていましたが、現在はそれが打倒され、軍事政権となっていて、ムスリム同胞団は下野(げや)しました。そのため、ハマスやガザ住民をエジプトの領土であるシナイ半島に避難するのを受け入れてしまうと、そこでハマスが台頭し、エジプト国内のムスリム同胞団も再度力をつけてしまうので、エジプトはシナイ半島への受け入れを断固拒否しているようですね。

ただ、ムスリム同胞団って、スンニ派なので、シーア派のイラン(それにヒズボラとかシリアとか)とは敵対関係にあるのでは?この辺は複雑なので、もう少し勉強しないとわかりません。

要はムスリム同胞団というのは反世俗主義なので、イランと同盟関係にあって、一方でサウジとは敵対関係にあったわけですが、それがイランとサウジの歴史的和解(国交正常化)のおかげで、お互いが反目する必要がなくなってしまったんですね。そういう細かな部分にも、このイランとサウジの国交正常化は影響しているわけです。

いずれにせよ、そういう国家や政府、あるいはネオコンの思惑によって、いったい何人の罪のない一般人が犠牲になるのかってことですよ。アメリカもウクライナイスラエルパレスチナも、そこで暮らすほとんどの国民は、日々の生活に手一杯で、戦争なんてしたいはずがありません。

昨年12月に発足したネタニヤフ政権も極右のシオニストに政権を乗っ取られ、ヨルダン川西岸地区(ウエストバンク)への強硬な入植活動をエスカレートさせていきました。ただ、イスラエルの住民は、そんなネタニヤフ政権に嫌気がさし、国外脱出する国民もかなり増えていたわけですね。そういうパレスチナに同情的なイスラエル人もいるのに、そういう人たちすら、このハマスの奇襲で犠牲になっているわけです。

そもそも思想信条は目に見えないので、本来は戦わないでよい人たち、憎しみ合う必要のない人たちが、ネオコンとか国を担う政権の勝手な方針や政策によって巻き込まれていき、そして世界各地で悲劇が起きているわけです。

それは我が国日本も同様で、岸田とか河野のような売国奴の腐った政治家によって、ワクチン接種、ウクライナ支援、脱炭素、SDGsなんかの全く無意味で一切関わりたくない政策や方針に翻弄され、国の行く末として、行きたくもない場所(国家)に強制的に連れて行かれてしまうわけです。

しかし現在は今までのようにやられっぱなしではありません。そういう世界の悪魔のような奴らと戦っているプーチン大統領をみて、第三世界(グローバルサウス)の人々が、BRICSを皮切りにどんどんロシアに歩み寄るようになりました。サウジアラビアやトルコもその潮流に乗っています。

『よその国に自らの利権のために介入するのではなく、その国のことはその国に任せればいい。まずは自国民のための政治をしよう。すべての国が独立国家として自立し、自国第一に考えよう。その上で国際協力を進めればよい。武器を送るのではなく、まずは話し合いのテーブルを用意すべきであって、周辺国は停戦に向けて最大限の努力をすべきである。』

これがトランプ大統領プーチン大統領、グローバルサウス、アラブ連盟の基本的な考え方ですが、岸田を始め、この国のメディアはこういう意見にはなぜか反対のようですね。いったいどっちが正しいでしょうか?

映画「行き止まりの世界に生まれて」

評価:★★★★★

この映画、「ブックスマート」のDVDの冒頭で紹介されていて、ずっと見たかったんですが、擦った揉んだの挙げ句(ぽすれんでひどい目に。。。)、ようやく本日見ることができました。で、結論としては、もう、ものすごくおもしろかったです。

全編に挟み込まれるスケボーのシーンも、監督のビンが一緒にスケボーに乗って撮ってるので、スピード感と迫力と疑似スケーティング感がハンパなくて、冒頭から速攻で持って行かれました。

この映画はイリノイ州北部のウィネベーゴ郡に位置するロックフォードという都市で育った3人の少年が、少年から青年を経て大人になるまでの10年あまりの歳月をドキュメンタリー化したものです。

監督で日系人のビン、黒人のキアー、白人のザックの3人はスケボー仲間で、ヒマさえあればストリートでスケボーする毎日を送っていて、日系人のビンがずっと撮りためた映像の中から、時代設定はあくまでも現在に主軸に起き、時にさかのぼったり、幼少期の映像を挟み込みつつ、彼らの葛藤や挫折、迷いと怒り、憧憬と諦念、そして最終的にはちゃんと和解と希望を示しているのが素晴らしい。

ただ一つ、ボクが強調したいのは、この映画で描かれるロックフォードという都市は、別に行き止まりの世界では全くなく、むしろ最高にクールな街ってことですかね。だって街並みがハンパなくキレイなんですよ。家も庭が広くてデカくて戸建てばっかりで、都内みたいにマンションがニョキニョキ生えてないし、空は広いし、みどりが一杯で、川とか橋もキレイで、道路は広くてガラガラ、街も公園もとてもキレイで、こんな街に住みたいランキングナンバー1の美しさ。これで行き止まってたら、ボクみたいなごちゃごちゃした都内に住む人々は、「ゴミ溜めの世界に生まれて」ということになりかねませ~ん。

とはいえ彼らは、彼らなりに深刻な悩みや問題を抱えていて、監督のビンはそれを容赦なくカメラに収めるわけです。まずキアーは、父親と大げんかした後に家出し、その直後に父親が急死し、それに後悔の念を抱き続けています。
そしてザックは恋人のニナとの間に子供が生まれ、若くして親になったプレッシャーから、お互いに苛立ちと不安を募らせ、ケンカの絶えない毎日にお互いに辟易しているわけです。
そして監督のビンもまた、母親に言いたくても言えない悩みを抱えていたわけです。

まあ詳細については是非見てもらうとして、彼らは役者ではなく本物の個人なので、彼らは演技ではなく、本当の自分を随所でさらけ出すわけですが、その姿が見る側の人間の心を猛烈に揺さぶるわけです。

ザックとニナの壮絶な夫婦ゲンカも本物、キアーの涙も本物、そして監督ビンの涙もまた本物です。人は頭では決して制御できないほどの感情に見舞われたとき、涙を流します。複雑で制御不能な強烈な悲しみや怒り、後悔と懺悔、喪失と諦念、そういった感情に激しく心が揺さぶられたとき、涙を流すことでどうにか高ぶる感情を鎮めようとするわけです。つまり、この物語を一言で言い表すとすれば、「スケボーと涙と和解の物語」ということになるでしょう。

たしかにこのロックフォードという都市は五大湖周辺のラストベルトに位置し、グローバル化の煽りを受け、製造業が衰退し、錆びれた地方都市なのかもしれません。ですが、実は森の都市とも呼ばれ、みどり溢れる非常に美しい都市なんです。夏は木々が青々と生い茂り、秋には街路樹が紅葉に染まり、冬には一面が雪に覆われ、四季の移り変わりや街並みも素晴らしい。

ぼくが一番好きなのはキアーのはにかむような笑顔です。キアーは心優しい青年で、一生懸命働き、どうにか親元から自立しようと日々努力しています。ザックは顔がいいので、モテてすぐに女の子が寄ってきますが、エンディング間近に、彼が悲痛な表情で「オレが一番クソで負け犬で救いのようのないクズなんだ!ファック!」と、声を震わせて必死に叫ぶのが涙なしでは見られません。

でも彼らって一体どこがクズで負け犬なのでしょうか。たかだか20歳か30歳で人生が決まるはずがないし、そもそも高校中退や家出なんてどうってことないし、親も生まれも育ちも、人種や肌の色が一体なんだというのか?

なによりも彼らは最高にスケボーがうまい!それだけで他の人たちとは違う景色を見ているわけですよ。街中の道路際の階段や手すりや縁石やバンパーなんかに、スケボーで乗っかって擦った跡がたくさんあるわけですが、劇中で随所にそのこすった跡が静止画で挿入されるんです。だけどこれって、スケボーやってる奴じゃないと気付かない傷跡なわけです。そういう意味で、彼らにしか見えない世界があって、その世界に彼らは包まれていて、ある意味その時点で彼らは救われているんですよ。

この映画はそういうスケボーと涙と和解を描いた魂のドキュメンタリーなんですが、ぼくは以前見たスタジオA24の雰囲気だけの「mid90s」というクソ映画よりもよほど本作の方が好きですね。こういう映画って、仲間とパーティーでバカ騒ぎというのが定番なんですが、この映画にはそういうシーンがほとんどないんですよ、多分彼らもそういうのが嫌いなんだと思いますが、そこもまたボク的には共感です。

NATOの大敗と沈みゆく大国

さてさて、6月9日、ザポリージャ戦域(ザポリージャのロシア占領区域とウクライナの境界付近)において、ウクライナ軍(という名のNATO軍)が大敗を期したようですね。一晩でウクライナ軍1,200人が死亡(大体毎日500人が死んでます)、40両の戦車、70台の装甲車両、大砲10丁が根こそぎ大破し、たった一晩でとんでもない人的物的損失を被りました!NATO諸国はその恐るべき損失に驚愕し、意気消沈し、冷や汗混じりに恐れおののいたようですね。

そしてその中には、欧米諸国が肝いりで供与したアメリカのM1エイブラムスやドイツのレオパルト2、オランダやデンマークのレオパルト1、スロベニアのM-55Sなどが含まれており、それらがYoutubeのヒンドゥスタン・タイムズで、ロシアの最新爆撃ヘリである「アリゲーターKa-52」によって、ボコボコに爆破、殲滅される映像が公開されています。逃げ惑う戦車と、それをピンポイントでロックオンして爆撃するアリゲーター。なんだか見ていて背筋が凍るものがありますね。

まあ、ざまあみやがれ!と言っておきましょう。ただし、すでにウクライナ兵は35万人が死亡しているので、それらに乗っているのはウクライナ兵ですらなく、実態はポーランド兵やアメリカとイギリスの傭兵かもしれません。

確かに職業軍人NATO軍は、そもそもそれが仕事なので戦死しても仕方ないわけです。あるいは欧米のプロパガンダに騙されてウクライナ入りした志願兵や、金儲けのために現地入りした傭兵達は自業自得もいいとこで、アフガンやイラクとは段違いで、強力なロシアの火力に晒されボコボコにやられて死んでるようですね。

しかし、ロシアにしてもウクライナにしても、戦争に行きたくもないのに徴兵され、強制的に参加せざるを得なかった人もたくさんいるわけで、そういう人たちは本当にかわいそうです。特にウクライナの場合は、老人や身体障害者までもが徴兵され、彼らはわずか10日程度の初歩的な訓練を受けただけで、いきなり最前線に放っぽり出され、泥人形のように犬死にしてるようです。

特にロシア軍は、バフムートを陥落させる前から少しずつドンバス地方全体(ドネツク、ルガンスク、ザポリージャ、ヘルソン)に大量の要塞をせっせと設営してましたので、バフムートというチョークポイント(要所)を失ったウクライナ軍は、もはやロシアの死守する陣地にほとんど入れないようです。

その結果、欧米メディアが盛んに「ウクライナの反転攻勢がはじまった!!!」などと煽り、肝いりで戦車20台ぐらいの部隊で侵攻したのが先のザポリージャでの6/9の出来事でしたが、全ての車両がものの5分で爆破、壊滅され、めでたく返り討ちにあったわけです。

そして一晩で1,240人が死亡したのは冒頭に書いたとおりです。
この惨劇は全て、バイデンをはじめとする西側陣営が、つまりは、バイデン、スナク、マクロン、シュルツ、トルドー、(あと一応、ポチ岸田も)などのグローバリスト達のせいです。そもそも、ロシアの特別軍事作戦がはじまって1ヵ月がたった昨年3月の段階で、トルコの仲介で停戦するチャンスがあったのに、それを潰したのがこいつらです。そのために元イギリス首相のボリス・ジョンソンがゼレンスキーに会いに行ったわけです。

彼らはお勉強だけのエリートで、机上の空論が大好きなほか、その何人かは世界経済フォーラムのクラウス・シュワブの弟子達です。そうやって、金持ちの家系に産まれ、ぬくぬくと甘やかされ、労せず努力もしないままで政府高官の要職に就いたわけです。なので現実を全く分かってないし、分かろうともしないし、そもそも我々のような庶民をはなから見下しています。

そのため、少しでも自分より立場の高いものから命令されると、先ずは保身と選挙の再選しか考えていないので、何の意見も反論もせずに言われるがままに従ってしまうわけですね。その最たるものが、ロシアへの制裁とウクライナへの資金援助を未だにひたすら続けるポチ岸田や、ワクチンを国民に強要し続けた河野のような売国奴でしょう。

このウクライナでの悲劇は、すべて、こいつら「エリート」とは名ばかりの人間のクズどもの責任です。あと、それを喧伝するプロパガンダ機関に成り下がったメディアもですが。

しかしバイデン政権というのは、考えてみると世界のためになる政策を何一つ実行できませんでした。

①ノルドストリームを破壊し、ウクライナで35万人を死なせる。
アメリカ南部に大量の不法移民を流入させ、人身売買や麻薬犯罪を激増させ、治安をかつてないレベルまで悪化させる。
サウジアラビアムハンマド・ビン・サルマン皇太子を怒らせ、中東でのアメリカのプレゼンスを低下させる(⇒ただし、これはいい事です)。
④インフレで世界を混乱させ、エネルギー価格を高騰させ、金融危機を引き起こす。
⑤欧州の経済を停滞させる。

などなど、世界中に最凶の害悪をまき散らしただけです。

ただし、③はむしろいいことで、これにより中東諸国の国交正常化が進み、サウジとイランの歴史的な和解、イエメン内戦の終結、シリアのアラブ連合復帰などなど、第三世界アメリカ離れが急速に進み、この地域(ロシア~トルコ~イラン~中東~北アフリカ)の巨大な経済圏が形成されると共に、安定と協調に向かっての協力体制が構築されつつあるということです。

つまり、歴史的にも自明のことですが、他国にアメリカが介入しない方が、むしろその地域の安定化が進むということです。逆に言うと、アメリカが他国に介入し、地域の対立を煽り、分断化する(分割統治)ことで、軍事的、経済的、政治的に、その地域でのアメリカのプレゼンスを高め、アメリカに有利にコントロールするという欺瞞が、いよいよ通用しない時代になったということですね。

そもそもバイデン政権というのは「トランプさんの実績をひっくり返し、真逆の政策を行うこと」それがバイデン政権の政策といっても過言ではありません。そして、そのような政策を進めた結果、世界は現在のような悲劇に見舞われているわけです。

いずれにせよ、今後もウクライナに戦争を続けるよう圧力をかけ続けると、さらに死者数は増え、さらに欧州の経済は逼迫するでしょう。なので早々に停戦を実現するための外交努力をすべきなんですが、そもそもこの紛争の仕掛け人がバイデン政権の発案なので、もはや振り上げた拳を下ろせなくなっている状況ですね。この戦争が終わってしまうと、バイデンの他、政権中枢のビクトリア・ヌーランドジェイク・サリバンオースティン国防長官ブリンケン国務長官らが、ウクライナを利用して利権や賄賂を得ていた事実が明るみに出ますので。

まずは停戦と和平を目指すべきなのは明らかなんですが、我が国にそれを主張するメディアや記事が一切ないのが悲しいです。学校でもそういう風に子供たちに教えてるのでしょうか。停戦よりも武器を送ることが正義!とかって、教師はそのロジックをどう子供に説明してるんでしょうかね。

ところで、G7はウクライナへのより一層の援助を表明しましたが、一方で停戦を主張しているのは、なんとアラブ連盟首脳会議の国々ですよ。

確かにアラブ諸国は様々な宗派がいて、宗教的な対立が絶えず、それ故に強権的な政治体制(権威主義)やイランなどの神権政治体制が取られてはいますが、G7などよりよほどまともな道徳観を持っているように感じます。

民主主義という政治体制は、政治家が国民のために政治を行うのであれば理想的な政治体制です。ですが、逆に政治家が自らの利益や、特定一部の特権階級の利益(つまり献金者の利益)、そして他国の利益(中国やアメリカの圧力や利権)、さらには国際組織の利益(国連など)など、それらを国民よりも上位に置くと、その瞬間にエリート主義、特権主義、グローバル主義に陥ります。
それが何を生み出すのか?
自由民主主義とは真逆の「共産主義」に限りなく近づき、貧富の差が拡大し、自由が制限され、意見は封殺され、一部のエリート以外は限りなく貧しく生きづらい社会になるでしょう。

世界をそうさせないためにプーチン大統領は懸命に戦ってるわけで、それに第三世界の国々が続々と追従していますが、日本は今後もこのまま沈みゆく大国アメリカ、つまりはバイデン政権と運命を共にするのでしょうか。
ましてやNATOの東京(アジア)事務所の開設なんて、正気の沙汰じゃありません。NATOというのは「北大西洋条約機構」ですよ?極東の島国である日本は全くなんの関係もありませんし、そもそもNATOの加盟国ですらないので。こういうアメリカの時代遅れの分割統治というドクトリンに一体いつまで付き合う気ですか?

本「父滅(ふめつ)の刃 消えた父親はどこへ」

作家で精神科医でもある樺沢紫苑先生の本をまたまた読んでしまいました。しかしこの本って、先生の著作の中では最高傑作ではないでしょうか。この本では、近年の父親の不在や父性の消失といった社会的なテーマを背景に、時代に沿った多数の映画を題材として、鋭く切れ味の効いた分析を試みています。

そう書くと、なにやら小難しい本に思えますが、実際は全然そんなことなく、誰もが見たことのある映画をベースとして、とてもわかりやすい表現で解説しているので、ぐいぐいと引き込まれてしまいます。特に先生は、精神科医で映画好きの作家という異色の経歴をお持ちなので、その辺が普通の医者や学者の小難しい本と異なり、ボクが先生の文章にシンパシーを感じたり、ボクの思考との親和性が高いのだと思います。

さてこの本ですが、一言でいうと父性の不在、父性の消失についての本なんですが、父性というのは断ち切る力で、規範や社会のルールを示し、思念やビジョンを子供に示し、人が社会に船出していく方向性や倫理や道徳を示すもの、つまりは外部へ送り出すものです。

一方、母性とは、包み込む力、許容する力、抱擁する力で、時に励ましたり、慰めたり、どちらかというと安心と安らぎをあたえるもの、つまりは安全地帯の提供ですね

この母性と父性というものは何よりバランスが重要で、どちらかが強すぎたり、弱すぎたりしてバランスを欠くと、その家庭で育つ子供は精神的に不安定になりやすいです。特に父性不在で育った家庭で、子供が不登校や引きこもりになりやすいのはよくあることです。

さて、この本で特筆すべきは、2010年代以降の映画やアニメは、極めて父性不在を強調した作品が増えたと指摘していることですね。確かに「スター・ウォーズ」のエピソード7~9や、マーベルコミックを原作としたスーパーヒーローものも、主役が女性のものが多いですよね。

おもしろいのは、映画の中で食事のシーンを見れば、一発でその家庭の置かれている状況を理解できると考察しているところです。それは確かにその通りで、最近のアニメや映画をみても、父親が不在か、あるいは非常に影の薄い(キャラの弱い)父親が多く出てくるようになりました。

ところで、ここでボクが指摘したいのは、これらの動きが、女性の社会進出と共にあるという点です。昔は父親が稼ぎ、家のことは母親が担当するという家庭が多かったわけですが、今は男女共稼ぎで、子育ては二人で一緒に、というスタイルも多く見られるようになってきました。それは同時に、ウーマンリブ、女性の解放などなど、女性が社会進出し、経済力を持つことで、男性に依存しなくても自分の力で生きていけるようになったので、その影響で未婚者が増えたり、離婚率の上昇にも強く相関しています。

そのような現実を反映するように、映画でもまたヒロインの相手役の男は頼りなくヘタレな役柄が増えてきて、もはや男なんて不要、父性不要論を掲げた極端な作品も非常に多くなってきています。ボクは見ていませんが、アナ雪実写のアラジンなんかでその動きが顕著なようです。

ただ、女性も男性も仕事をして、一緒に子育てもして、さらにそれぞれが母性と父性を発揮することも当然可能です。それを「男性なんてもう要らない」といった男性不要論にまで行ってしまうと、それはさすがにやり過ぎだろうというのが樺沢先生の見解です。

なお、樺沢先生が、最後にマンガのONE PIECE鬼滅の刃を例に取り、このような父性の不在や消失に対し、今後どうやって立ち向かって行くべきか、その方向性の違いを考察しているのが非常におもしろかったです。

まずワンピースの方ですが、これは父性の不在を仲間で補おうというものです。仲間同士が弱い部分、足りない部分を補い合い、協力し合って巨大な敵に立ち向かっていこうとする物語です。要は、丸紅のCMにも採用された「オレにできないことはオマエがやれ、オマエにできないことはオレがやる!」といったセリフですね。

一方、鬼滅の刃は違います。鬼滅の刃の場合は、父親の不在に対し、炭治郎自身が努力し、自分自身が父親的存在になろうとする物語です。家族を守るためには、自分が強くなり、父性を発揮するしかない!と決意するわけです。

そういう違いは連載のスタイルにも現れていて、人気が出てなかなかやめさせてくれない出版社の圧力に屈し、ダラダラと似たような話を延々と繰り返すワンピースに対し、鬼滅の刃は人気絶頂の最中、きっちりと初心貫徹、わずか23巻で終了します。これこそ模範を示し、ルールを守るという父性的な決断と言えるでしょう。作者は女性なんですが、実に潔く、見事な幕引きだと思いますね。

自分は、できることだけ、好きなことだけをやっていたい、できないことは誰かにやってもらえばいい、いつまでもずっと仲間とバカ騒ぎしていたい、というワンピース

できないことは努力で乗りこえるしかない、自身で考え行動し、自身を高めるしかない、何より自分が強くなるしかない、そうやって大切なものを守っていきたい、とする鬼滅の刃

これって今のような時代にはなかなかに難解な問題ですが、あなたはどちらの道を選びますか。ボクは断然、鬼滅の刃の方ですね!

映画「ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー」

評価:★★★☆☆

この映画って、雑誌POPEYE「17歳からの映画案内」に載っててずっと見たかったんですが、先ほどようやく見ることができました!
ボクは、学園ものが結構好きで、これまでも古いものではジョージ・ルーカスアメリカン・グラフィティエミリオ・エステベス「ブレックファスト・クラブ」マシュー・ブロデリック「フェリスはある朝突然に」とか、最近ではレディ・バードとかWAVES/ウェイブス」とかプロジェクトXとか、色んなのを見てきました。

その中でもこの「ブックスマート」は、基本的には、学内のあんな子もこんな子も、実は色んな悩みを抱えていて、あんまり自分たちと大差ないんだ~ってことに気付かされたりとか、友情の大切さとか、友達との別れの切なさとか、まあお決まりお約束のティーンムービーなんですが、とはいえ「今を生きる」のようにシリアスで後味の悪いものでは決してなく、からっと明るく朗らかにユーモラスに描かれているのが好きですね。そして、これらの映画のほとんどは、上記のような同じテーマの焼き直しであることは言うまでもありません(「WAVES/ウェイブス」以外は。この映画はぼくは大嫌いです)。

物語としては、パーティーやバカ騒ぎには無縁で、どちらかというとマジメでお堅い二人の女の子が、必死こいて名門大学に受かったまではよかったけど、実は見下していたおバカ(だと思っていた)同級生達も、ちゃっかりと名門大学に受かっていたことを知って、私たちの青春を返せ~!!!とばかりに、呼ばれてないパーティーに押しかけドタバタ劇を繰り返す、というお話です。

ですが、最近の映画だけあって、生徒はゲイやバイっぽい生徒もたくさん出てきて性別不明のジェンダーレス、人種も白人、黒人、日系人、メキシカンなどなど多様性のるつぼと化し、さすがに今の時代を感じますね。

とはいえこの映画の最大の売り(見所)は、ボクにとっては主人公のモリーの親友のエイミーちゃんです!もうとにかくこの子がかわいすぎて、怒ったり笑ったり叫んだり、彼女の表情を見ているだけで楽しいです。ケイトリン・デヴァーちゃんという女優さんですが、もう要チェックですよ!ディカプリオの「Jエドガー」とか名作「ショート・ターム」に出ていたようですが、なんか全く気付きませんでした。

しかしよく考えると、このモリーとエイミーの掛け合いが絶妙で、わけのわからない内輪ネタの会話や、いきなり二人でダンスを踊り出したりとか、こんな二人が学園にいれば、絶対に勉強だけとかマジメな生活を送るのは不可能でしょう。まずもって周りがほっときませんよ。

ところで、ボクが強烈に違和感を感じたのは、今のジェンダーレスを象徴するかのごとく、なんと学内のトイレが男女共同なんですよ!これには正直驚きました。実際にアメリカの学校がそうなのかは知りませんが、これこそが誤った道徳、誤った平等主義ですね。

実際にアメリカではこのような中学校で、女子生徒がジェンダーの男子生徒に学内トイレでレイプされる事件が起き、教育委員会はこの事件を起こした生徒を一切とがめることなく、他の学校に転校させました。それに怒った被害者のお父さんが、学校に抗議に行ったところ、「テロリストが暴れている」と通報され、駆けつけた警察に逮捕されてしまいます。さらにこの事件には後日譚があり、転校したジェンダーの男子生徒は、転校先の学校でもまた同じレイプ事件を起こしています。

つまり、本質はジェンダー平等とか差別とかそういう話ではなく、単に生物学的に男性なのであれば男性トイレを使えばいいだけの話です。それはスポーツの世界も同様です。それを男女のトイレの区別をなくしたり、女優を俳優と書いたり、看護婦さんを看護士と書いたり、アホな言葉狩りはいい加減にやめろって事ですね。

だってぼく自身も、別にジェンダーやレズやゲイの人を差別する気はさらさらないし、それを理由に解雇したりするのはおかしいと思ってますから。そんなのは当人同士で好きにすればいいじゃないですか。ただそこに、社会や法律をもって強制的にトイレを一つにしたり、婚姻関係を認めたりするのは、やはり大きな間違いだと思いますね。

さて「ブックスマート」ですが、この映画もまたご多幸に漏れず、イケてるとされる男子や女子が、まあなんとも(ぼくの目から見ると)不細工というか、全然イケてないところでしょうか。まず、主人公のモリーが好きなニックが、はっきり言って全然イケメンじゃないところとか、大金持ち(世界の1%)のジジという令嬢もおばさん顔だし、って、なんとこの子はキャリー・フィッシャーさん(スター・ウォーズレイア姫)の娘さんかよ!。それにエイミーが恋心を寄せるライアンも単なるおばさん(のび太のお母さん)にしか見えなくて。

あと、パーティーに潜り込む二人のつなぎ姿が泥棒みたいでかわいいです。あと必見は、やはりエイミーちゃんの水着?下着?姿でプールで泳ぐシーンとか、エイミーちゃんの美形女子との絡みとか、まあボク的にはエイミーちゃん一押しですが、最後にはしっかりとウルウルさせられて、心地よいカタルシスを味わうことができました。できれば続編を作ってほしいですね。

ちなみにアメリカでは小・中・高がそれぞれ6・2・4年または5・3・4年であることが多く、それぞれ学年を1~12のグレードで表し、例えば8年生をEIGHTH GRADE(エイス・グレード)、最終年の12年生を12th GRADEと呼ぶわけですね。

そして、新学期は9月に始まるのが特徴で、卒業式が夏休み前の6月に行います。なので、この映画でも、最後にモリーが空港でエイミーを見送るのは夏休み前のシーズンだし、スタンド・バイ・ミーで描かれたあの冒険も、彼らの夏休みの話だったわけです。

さてこの映画を見終わって、ボクは猛烈にかつてブログでも紹介した「エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ」を見たくなり、早速もう一度見直しました(8年生(中学校の最終学年)を舞台にした映画)。これは是非セットで見ることをお勧めしますね。

なお、両方の映画で「イケてる、イケてない」ということが重要なテーマになっていますが、そもそも、ボクからすると、イケてるとされる奴らが全然イケてないし、なにより、楽しむ(遊ぶ)ということが「パーティーでバカ騒ぎすることである」という解釈自体が、なんとなく理解できません。

何より大事なのは、いやな奴や嫌いな奴と無理に仲良くしようとしたり、興味もないのに共通の話題を勉強して、必死にそのグループに付いていこうとしたりすること、それらを速攻でやめることが大切なのではないでしょうか。

そもそも友達というのは、なんとなくウマが合ったり、気付いたら一緒にいるのが普通であって、無理に作ろうとしてできるものではなく、気がつくと友達になってたケースがほとんどです。そして、モリーとエイミーもそのはずですよ。

とはいえそれは、色んな人と話をしないと分からないので、最初はなんとなく敬遠していたグループの中に、めちゃめちゃウマの合う奴がいたりする場合もあるわけですね。なのでやはり決めつけはよくありません。

いずれにせよ、小学校から高校や大学までなんて、人生においてはほんのスタート地点、なにより社会に出てからが本当の人生なので、小、中、高、あるいは大学でどんなにイケてなくても、全く何一つ気にすることはありません。

ボクも高校までは先生に殴られたり、ヤンキーにボコられたり、高校を中退したり、あらゆるグレード(GRADE)で女の子にフラれたりなどなど、ろくな思い出がありませんが、その時も、そして大人になった今も毎日が楽しくてしょうがないです。

多分それは、毎日きっちり7時間睡眠をとり、朝散歩して、仕事して、食事しているからだと思います。そして、家族でも、恋人でも、友達でも、色んな話ができる人がそばにいることも重要ですね。そういう当たり前のことを毎日繰り返すこと、それが何よりの健康の秘訣だと思います。

エルドアン勝利と第三世界

ところで、最近の唯一の朗報は、バフムートの陥落とトルコのエルドアン大統領の再選ですね!しかし、相変わらず日経新聞の欧州総局長などというアメリカポチのアホな記者が、エルドアンさんの再選に際し「民主主義陣営は欧州と中東、アジアを結ぶ要衝にあるトルコを失うわけにはいかない、~~民主主義陣営の更なる後退を防ぐには、多様で自由なシステムの優位性を示し、そこにこそ未来があると信じられるようにするしかない」などというアホで身勝手な記事をしたり顔で掲載していました。ここまで来ると気持ち悪くて怒りすら覚えます。

こいつらに恥を知れ!そしてもう一度歴史を勉強しなおせ!と言っておきましょう。まあ、言ってもムダですが。

まず、こいつらの書く「民主主義陣営」の実態です。これはつまり、G7をはじめとする先進国のことを指しているのでしょうが、今それらの国の大半で、その標榜する民主主義自体が崩壊の危機に瀕しています。国や政府が国民の自由を脅かし、コロナ禍で外出を制限したり、ワクチン接種を強要したり、マイナンバーカードと保険証を合体させることで、個人の消費の動きなどを監視し、一律に国民を管理しようと画策しています。そしてそれを後押しするのが日経新聞をはじめとする大手マスコミビッグテックで、情報を検閲し、グローバリストや一部の特権階級の都合のいいニュースのみを報道するといった報道規制を常時行っています。実は欧州各国では、ロシアへの経済制裁ウクライナへの支援に反対するデモが連日行われていますが、政府はその声をひたすら無視し続け、経済が自滅する方向にひた走っています。

というわけで、現在は、日本も含め、欧米各国が民主主義とは名ばかりの極めて専制的な政治体制となっており、それは庶民を代弁するものではなく、金持ちやエリート、政治家等の特権階級の利益のみを追求する構造に成り下がってます。彼らは二枚舌で、下記に示すようにダブル・スタンダートが当たり前です。総じて彼らは嘘つきで、都合の悪いことは見て見ぬふり、反対意見には目の色変えて反論し、時に暴力や犯罪行為に訴えることもしばしば。もはや手に負えません。

①移民や難民を歓迎するなどのパフォーマンスは大々的に行いますが、彼ら移民が引き起こしている犯罪や事件はひたすら揉み消しています。
②メキシコ国境から大量に流入した不法移民達を、民主党極左連中は歓迎するふりをしながら、秘密裏に別の州に移送していました。
③かつての夢の都カリフォルニアは、不法移民とホームレスであらゆるストリートが占拠され、道ばたに薬物中毒者が溢れ、注射針が捨てられ、富裕層達の大部分は、共和党州知事を務める州にどんどん引っ越しています。
④LGBTQの信者達は、学校でトランスジェンダーが引き起こした女子トイレでのレイプ事件を見て見ぬふり。被害を受けた女性の父親をテロリスト呼ばわりしています。
⑤BLMの起こした略奪や放火などの犯罪行為を、平和的なデモとして報道し続けました。
⑥彼らはFBIや司法を使ってトランプさんの証拠のない軽犯罪を執拗に蒸し返して起訴する一方で、ヒラリーのリビア介入やバイデン一族のウクライナや中国からの巨額の賄賂の受け取りには一切おとがめなしです。

要は民主主義という思想は、その国の政為政者たちが堕落・腐敗したので、ほぼほぼ夢物語に終わったということでしょう。そして、そのような現状を決して指摘することなく、未だにお気楽に「民主主義陣営」などという表現をすること自体が、この記者のバカさ加減を露呈させてます。

もう一点、民主主義というのは政治体制の一つに過ぎず、それが権威主義サウジアラビア)や神権政治(イラン)であっても、国民が幸せに暮らせればそれでいいわけです。そもそもどちらが上などと比較するものですらなく、その国の人種や民族、歴史や文化、伝統と宗教なんかで、世界の国々それぞれに、その国に見合った政治体制があるわけです。それを民主主義の方が優れてるに決まってるので、民主主義を採用しない国は悪と決めつけるのは単なる押しつけ、余計なお世話以外の何者でもありません。

そのいい例がイラクですね。イラクは当時、スンニ派バース党フセイン大統領が治めていて、その強権力をもって容赦ない制裁を科していた事により、雨後の竹の子のように発生する反乱分子を押さえ込んでいました。そのために治安がよく、世俗化を進めたために男女の差なく義務教育が行き届き、医療体制もしっかりと維持されていました。そこにアメリカのネオコンが介入し、50万人もイラク人を殺して、そういう政治体制を破壊し民主主義を押しつけた結果、未だに国内の混乱状態が続いています。特筆すべきは、フセイン統治下に弾圧されていたクルド人でさえ「フセイン時代の方がよほどよかった」と言っていることですね。

もう一つはレバノンです。レバノンはモザイク国家と呼ばれ様々な宗派の派閥から成り立つ国家で、当時は中東のパリとまで称されるほど美しい国でした。それがある段階で、より民主化を進め、各宗派それぞれに公平に議席を持たせた結果、それぞれの宗派が自身の宗派に利益のある政策だけに賛成するようになり、議事は割れ、意見がまとまらず、足を引っ張り合うような状況に陥り、公共のインフラ等の整備や国家的な事業が一切進まなくなるという状況に陥ってしまいます。その結果、現在のレバノンは、エネルギー価格の高騰やインフレ等の影響から、電気、ガス、水道が止まり、国民が隣国に逃げ出すまでに混沌とした状態になっています。

以上の様に、国によっては民主主義などではなく、強力なカリスマのあるリーダー、力のあるリーダーが国家運営を行う方が、国内がまとまってスムーズに行く場合もあるということです。というか、そうでないと、この弱肉強食な世界で生き残ってはいけないわけですよ

つまり、ソ連崩壊後のロシアのように、世界の強欲な大企業がハゲタカやハイエナのように集まってきて、その国の資源や利権を根こそぎ奪われかねないということです。要は国家存亡の危機ですよ。ソ連崩壊当時も、そういう流れに対し、そいつら(オリガルヒ)を全員逮捕したり、国外追放したりして国から閉め出したのが、ボクの敬愛するプーチン大統領だったわけです。ロシア人はその時、紙幣の価値が25分の1にまで下がるなどの猛烈なインフレ(地獄)を経験しているので、とにかく強いリーダーを求めているし、今も民衆は熱狂的にプーチン大統領を支持しているわけです。

さて、エルドアン大統領ですが、彼もまた強力なリーダーシップ、カリスマのある大統領です。日経のアホな記者がしたり顔で「~~民主主義陣営の更なる後退を防ぐには、多様で自由なシステムの優位性を示し、~~」と書いていましたが、ここで言う「多様で自由なシステム」とは、ここでいうハゲタカやハイエナを指しており、要するに「自由に他の国の経済に介入し、その国の資源を奪い取れる自由」と言ってるわけです。

そして日経のアホはこう続けます。「そこにこそ未来があると信じられるようにするしかない」って、アホですか?頭のネジが外れてるんじゃないですかね。

余計なおせっかいの最たるもの。なんで「そこにこそ未来がある」などと、中東やアラブ諸国に住んだこともないオマエが言い切れるのか?そしてさらに「信じられるようにするしかない」って、押しつけの最たるもの。オマエにそうやって思想を強制する権利はあるのかって事ですよ。そして「~するしかない」というのは、「そう信じさせるように強制的に洗脳または思想弾圧するしかない」と言っているに等しいわけです。

要約すると、この日経の記者は、トルコの強力なカリスマ、エルドアン大統領に向かって、以下のように主張しているわけです。

「国民の自由を剥奪する我ら民主主義陣営の更なる後退を防ぐには、トルコをはじめ他国の経済に介入し、その国の資源を奪い取れる自由の優位性を、強制的に洗脳または思想弾圧することで信じ込ませるしかない。」

これって、とんでもないロジックだと思います。大手メディアがこういうことを臆面もなく主張するというのは。これが今の日本を代表するメディアの正体ということですね。そして、こういう動きに誰も異を唱えられない、そういう構造こそが、多様性の否定なのですが、彼らはダブル・スタンダートなので、自分たちの都合の悪いことには決して目を向けません。なんたる堕落、日本もここまで来たかということでしょう。

むしろ、グローバリストや為政者にこういう暴言を吐かせたり実行させないためにこそ、世界は団結すべきであって、その動きは現在、グローバルサウス(第3世界)の国々で顕著になっています。つまり、グローバリズムと民主主義という名の押しつけにNo!を突きつける動きです。

そしてそこにトルコが加わったことで、ロシア、中国、トルコ、イラン、イラククウェートUAE、ヨルダン、カタールオマーンバーレーンサウジアラビア、イエメン、エジプト、リビアアルジェリア、モロッコモーリタニアなどの、アジアから中東、アフリカ大陸北部の国々が次々に賛同し、国交正常化が進んでいます。これらの国々が第三世界という大きなひとつなぎのベルト地帯を形成し、エネルギー資源をはじめとする巨大な経済圏を構築しているわけですが、そこからつまはじきにされているイスラエルや欧米社会(日本も)は今後どうするのでしょうか。

そもそもG7などの先進国(特にアメリカ)が、第三世界の政治に介入したり、民主主義を押しつけたりしない方が、世界はよほど平和になるということです。それは一連の世界情勢(第二次世界大戦ベトナム戦争中東戦争朝鮮戦争、アフガン戦争、イラク侵攻、カラー革命、アラブの春、イエメン内戦、シリア内戦、そしてウクライナ紛争などなど)を見れば、火を見るよりも明らかです。

政治体制が何であれ、自国の歴史や文化や伝統を大切にし、自国民の豊かさと繁栄を願うのが政治家の役割であって、第三世界の国々は、ロシアがアメリカに反旗を翻したことで、ようやくそのことを正直に主張できるようになったわけです。

これって第二次大戦時、欧米に立ち向かった日本に希望を見いだした、東南アジアの国々に似ていませんか?さて、政界もメディアもアメリカに占領されてしまった今の日本に、今後の巻き返しはあるのでしょうか。