GIGI日記~映画とか本とか~

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嫁さんのお弁当

いやいや、今日は13日ぶりの休みです、はい。もう最高に幸せです!

ボクは今、新しい事業の立ち上げに携わっており、その事業の要となるシステム開発を担当しています。とはいえ、ボクがそういうシステムやプログラミングの知見と技術があるというわけでは全くなく、当然、システム会社さんに開発を依頼しているわけです。

とはいえ、システム会社さんにこちらの要望を正確に伝える必要がありますし、そのためには当然、システムの全体像を把握することはもちろん、こちらのやりたいことを先方に正確に伝え、できあがったものの仕様を確認したうえで、足りない部分の見積もりを再度取るなど、完成形に持って行くまでの調整がハンパじゃありません。

当然、資金が潤沢にあれば先方に全てお任せしてしまえばいい話ですが、予算は限られていますので、こちらで自前でできる領域と、先方にお任せすべき領域とを見極め、極力無駄な出費が発生しないように、様々なチェックと検証と検討が必要になってきます。

しかし、こういう仕事ってものすごく不毛で消耗する作業なんですよ。

こちらの意図を明確に先方に伝えることもそうですし、また先方の担当者も当然いくつかの案件を抱えているわけで、かつ、その担当者もそれぞれのエンジニアに割り振って仕事を進めている以上、なかなかスムーズに調整や改善が進みません。

まあそれは、システム開発会社の規模等にもよるのでしょうが、こちらも先方も零細企業ですので、人手不足でそういう不都合が露呈しやすいという面は当然あるのかと思います。

何より辛いのは、自分さえがんばればどうにかなる、という仕事ではなく、あくまでも先方ありきの仕事ですので、なかなか開発がスムーズに進まず歯がゆい毎日を送っていました(先は見えてきましたが)。

そして、そんな辛いとき、苦しいときに、妻が一生懸命作ってくれたお弁当を、誰もいない事務所の中で一人で食べるというシュチュエーションも手伝って、少ししんみりして不覚にも涙が出そうになりました(出ませんが)。

それはなぜなのか?色々考えてみたのですが、妻としては、ボクががんばっていることを理解してくれていて、仕事がんばってね!という気持ちを込めて、休みの日までわざわざお弁当を作ってくれてるわけです(多分)。

一方ボクといったら、その仕事がなかなか思うように行かず、そういう妻の思いに応えられていないわけですよ。そこに、なんというか、申し訳なさ、自分の能力の不甲斐なさとか、悔しさとか、そういう不本意な自分が、せっかくお弁当作ってもらっているのに応えられてないじゃん!というやるせなさ、申し訳なさが、この悲しみにつながったのかもしれません

とまあ、わけのわからないことを書きましたが、そこはすぐに切り替え、「これを食べてがんばるしかない!」と勇気を奮い立たせましたが・・・。

そして家に帰って、妻にお弁当を作っているときの気持ちをそれとなく聞いてみたところ、それはもう「ただ、めんどくさい!」「休みまでなんで作るの!」「おかずとか(ボクが)うるさいから大変!」・・・・・・だそうです。

まあ当然、ジョークも入っているのだとは思いますが、ちょっと安心というか、少し気が楽になりましたね。

そこで思ったのは、例えば子供が学校でイジメに遭っていて、その子がお母さんの作ったお弁当を毎日持ってきていたとしたら、それを食べるときの気持ちは結構辛いんじゃないかって事です。だって、お母さんにしてみれば、毎日、子供が学校で楽しく過ごしてると思っているわけじゃないですか。そうやって、子供を元気付けよう、応援しようと思って一生懸命毎日作ってくれてるわけですよ。

けれど、そういう親の思いと、現実の自分とのギャップに、申し訳なさ、寂しさ、つらさ、悔しさが折り重なって、ボクが感じたような辛さを感じてしまうのではないかって事なんです。

ボクは大人なので、そこら辺は切り替えて、さっと「これ食べて、とにかくがんばろう!」というポジティブな気持ちになれるんですが、まだ切り替えや処世術の備わっていない思春期にある子供であれば、そこはなかなか難しいのかなと。

なので思ったのは、そういう気持ちのこもったお弁当は、期待されたり、応援する気持ちも当然あるとは思いますが、なにより、嫁さんとか親の願いや思いと、現実の自分とのギャップを埋めるエネルギー源』になっていると信じること!ですね。

例えばポパイが窮地に陥った時に食べるほうれん草のように、弱い自分、不本意な自分と理想とのギャップを埋めるためのエネルギー源、それがお弁当ってことです。

以上、奥さんに毎日お弁当を作ってもらっているそこのデブでハゲのおっさん!たまには奥さんに「いつもお弁当ありがとう!」と感謝の気持ちを伝えましょうね。