GIGI日記~映画とか本とか~

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2022年の元旦とPHAさん

明けましておめでとうございます。さて、年が明けましたね。昨日はキムチをつけ込み、鶏ガラでとったスープを使った年越しそばとうどんを両方食べて、明けた今日のお昼にはお雑煮を食べるなど、色々と仕込みやら準備に追われてました。

さて、そんな折、2017年に放映されたドキュメンタリーで、元ニートPHAさんを取材した「会社と家族にサヨナラ・・・ニートの先の幸せ」を見ました(なんか年末年始にみたくなるんですよ)。すごくおもしろかったです。ニコ動で画質が悪いので、DVDで販売してほしいです。

内容は色々と考えさせられましたが、 又吉直樹さんのナレーションがまたいい味出してました。が、ナレーションの中で随所に「このままでいいのか?」とか「こういう対応でいいの?」というようなニュアンスが込められていて、これは又吉さんというより、番組の制作スタッフ(の台本?)がよくないな~と思いました。世間一般の常識から彼らを否定的に捉えるといった語り口ですが、そもそも余計なお世話かと。

以下に何点か感想を。

まず、番組ではギークハウス(シェアハウス)に集まってくる若者を「働きたくない、社会に出たくない」人たち、というような問切り型のニュアンスで語られますが、ボクは全くそうは思いませんでした。彼らだってできれば働きたいけど、うるさい上司とか理不尽な命令には従えないとか、要するにこれまで働いた環境に問題があったわけでして。

ともかく、現在はそれこそ働き方や働く形は無限にありますので、要は働く形が変容してしまっただけということなんだと思いますね。なので「働きたくない若者たち」といったおざなりな括りはちょっと的外れではないでしょうか。

例えばPHAさんの場合は、元ニートだろうがなんだろうが、名著を数冊出版しておりますし、近年、小説も発表しましたので(まだ未読です)、もう立派な作家なわけですよ。

それに一緒に出てくるギークハウスのプログラムの得意な人、イラストの上手な人、料理の上手な人、電子回路の好きな人、それに漫画家の小林銅蟲(こばやしどうむ)さんとか、みんな好きなこと、熱中できることがあって、時には不本意ながらも何かしらの手段でお金を稼いでいるわけですよ。それは「ニート」とか「社会性がない」というわけではなく、働き方や生き方が変容しただけのように感じます。

なので、彼らはインタビューで色々と「周りとうまくやっていけない」とか「会社という組織では生きられない」とか、普通に会社勤めで結婚しているような人たちと線引きするような言動をしていますが、ボクはそこに大きな違いや差はないように思いました。

要は会社に入って働いてもいいし、別にフリーランスで働いてもいいし、結婚して家庭を持ってもいいし、独身で気の合う友達や仲間と一緒に暮らしてもいいわけで。

そして、そういうことを選べる素晴らしい時代に僕たちは生きている、ってことじゃないでしょうかね。つまり、これまでのクソみたいな昭和の価値観がなくなっただけで、生き方は自由なわけです。それにそういう企業戦士的な価値観は、昨年来のコロナ禍も手伝って、今やほとんどが吹っ飛んだのではないでしょうか。ただ、生きるためにはどうしても住む場所と食べ物が必要なので、そういう場を提供しようと奮闘しているのがPHAさんなわけで、ボクは本当にすごいと思いました。

「家族でも会社でもない、もう一つの居場所を作りたい。。。」

そういうことを、少しはにかみながら語るPHAさんにボクは深く感動しました。このドキュメンタリーを見るとわかりますが、PHAさんは決して強固に自分の意見を振りかざすことなく、誰に対しても黙って優しく笑顔で頷くだけなんですよ。この包容力こそがPHAさんの周りに人が集まる理由なのかもしれません。

で、ギークハウスで暮らす住民の人たちは、かつて会社勤めでよっぽどひどい目に遭ったのでしょう。叱られたり、怒鳴られたり、時に人格を否定されたり。本当にかわいそうです。まあ、程度にもよるのでしょうが、叱られたり怒られたりするのが苦手な人は今の時代きっと増えているのでしょう。

とはいえボクも部下への指導が全く必要ないとは思いませんが、何より言い方や伝え方には気をつけなければなりません。これを見て特にそう感じました。

例えば、数年前、銀座線の電車の中で「だからオマエはダメなんだっ!」などと、辺り構わずに大声で部下を怒鳴りつけるようなアホを目撃したことがありますが、その時ボクは痛切に思いましたね。

「こんなクソみたいな上司のいる会社なんて速攻でやめた方がいいよ」と。彼に心の中でそっと伝えました。

これは社会が、というよりは、この上司の人間性に問題があるわけで、決して会社や組織が悪いわけではありません。当然、こういうやり方を許容する会社や組織は問題ですが、世の中こんな会社ばかりではないし、もっといい会社や組織もあります(多分)。

なので、ドキュメンタリーの中で彼らが訴えるように、彼らが会社や組織を嫌うのは理解できるのですが、会社や組織に属していても、いい奴もいれば悪い奴もいるわけです。そしてそれは、当然ニートの中でも同様のはずです。

なので、好きなことをやって楽しく生きているわけですから、彼らはもっと胸を張っていいはずです。なんとなくみんなそういう過去を引きずっているようで、その辺が少し残念でした。何も恥じることはないし、自分たちを社会性がないなどとと卑下する必要は全くないかと。

そもそも社会性ってなんですか?その観点からして彼らの生き方はむしろ社会的に最先端かもしれませんよ。それに時代が追いついていないだけかもしれません。

ボクはギークハウスの皆さんの生き方を見ていて、仲間に入りたいとかシェアハウスに入りたいとは特段思いませんでしたが、きっとそれは家に奥さんも猫ちゃんもいるので寂しくないからかもしれません。友達にも会いたいと思わないし、どこかの飲み屋でどんちゃん騒ぎをしたいとも思いません。旅行とかスポーツも全く興味がないです。

ボクとしては、家で本読んでマンガ読んで映画見てアニメ見てYOUTUBE見て、料理してぬかみそ漬けて庭いじりして散歩して、奥さんと一緒に食事して猫ちゃんと一緒に遊べれば、もうそれで最高に幸せですね。あとPHAさんの本読んでと。

そういう意味ではギークハウスの彼らとやってることはほとんど大差ないように感じてます。

ともあれ、寂しさや孤独感や疎外感は時として痛烈に心を痛めつけるので、そこから犯罪や事件、事故につながることも少なくありません。ですが、そういう事態の緩衝帯としてギークハウスが機能しているのであれば、そもそも今の時代は空き家もどんどん増えていますので、もっとたくさんこういう場所が必要なのかもしれません。ねえ、自治体の人、聞いてますか?ワクチンなんかよりよっぽど意味があるかと。

ちなみにPHAさんは現在ギークハウスを離れ、2匹の猫ちゃん暮らしているようですね。是非、このドキュメンタリーの続編を制作してほしいものです。さて、PHAさんの新刊、買わないと!