一体なんなのでしょうか?最近やたらメンタリストDAIGOさんが徹底的に叩かれまくってますが、本来、ヨウツベ(Youtube)は動画配信サイトであって、別にマスコミでも何でもないし、気に入らない奴は見なければいいだけの話。一体なにをそこまで騒ぐのか?それに小山田圭吾さんの件も根っこは同じですね。
これこそ究極の権威主義的言論弾圧、言論統制、思想統制ではないですかね。まさに時代はここまで来てしまいました。ナチスドイツや、旧ソ連の秘密警察、我が国の軍国主義時代の特高の再来ですね。最近の一連の流れを見ていて、背筋が薄ら寒くなりますね。
ボクは別にDAIGOさんのファンでも何でもないですが、彼のヨウツベでの論調は「生活保護者やホームレスなんかよりも、かわいそうな猫ちゃんたちを救う方がよっぽど有意義である。もう少しそっちにお金を使うべきだ」といったような論調だったと思いますが、これってボクも全くの同感ですね。
そもそもボクは、生活保護者やホームレスの人たちを社会の底辺であるとは思ってません。まあ色んな事情があるんだと思いますが、一部のやむを得ない事情のある方を除けば、結局はある意味自分の選択の結果ではないですか?なぜなら、日本は今でも一応は自分の努力次第でどうにでもなる社会だからです。
一方で、河原に捨てられた猫ちゃんや、多頭飼いの崩壊現場など、身勝手な飼い主やブリーダーなんかのせいで大量のかわいそうな犬や猫が残されたりしてるわけですが、この場合のワンちゃんや猫ちゃんに選択の自由はありませんよ、皆無です。
そこでDAIGOさんは、自由に選択できる人間がいかに幸せか、そして選択できないかわいそうなワンちゃんや猫ちゃんが今も大量にいることや、殺処分という人間の身勝手な行為に警鐘を鳴らしただけのように感じます。これってものすごく大事なことではないですか?
犬やワンちゃんよりも、ずるい奴、全て周りのせいにする奴、異常者とか犯罪者とか殺人者とか加害者の方が大切ですか?ボクは全くそうは思いませんね。こんなやつら、どうでもいいです。
なので一体なぜDAIGOさんが叩かれるのかが理解できません。至極まっとうな意見だし、じゃあ批判する奴らはホームレスに何らかの手をさしのべているのでしょうか。
実際問題、自分ちの近くの公園にホームレスが住み着いたり、電車で乗った車両にホームレスがいたら、大部分の人が顔をしかめ、役所に苦情を言ったり、車両を変えたりするわけですよ。
別にボクはホームレスを否定しているわけではないし、中にはこぎれいにしているホームレスもいるので、一概にホームレスと一括りにすることはできませんが、通常の髪ボサボサでボロボロの服をまとった皺だらけのノーマルのホームレスに限って言えば、彼らの悪臭のひどさといったら、とても耐えられるものではありません。
たぶん批判している人たちは、そういう本物のホームレスと出会ったことがないか、単なる想像上の産物としてホームレスというものを自分になりに解釈し、その虚構を庇護して美化しているだけだと思いますね。
だって電車乗るときに、なんとなく空いてる車両があるから飛び乗ってみると、なんとそこにはホームレスさんがすでに居ついてくつろいでいたがために、元の乗客はみんな他の車両に避難した結果として空いていただけだった・・・な~んてことは結構よくある話ですから。
まあ一つだけ強調しておきますと、ノーマルのホームレスは悪臭や姿形からしても、どう考えても不快な存在には違いないし、また一般の人と同様に、ホームレスだって生活保護者だって別にいい奴もいればイヤな奴もいるわけです。
ここで間違えてほしくないのは、ホームレスや生活保護者こそが被害者、みんな心は澄んでいて美しい、みんな善人で聖者で神様みたいな人でしたっ!って、そんなことあるわけね~だろ!ってことですよ。
変にこういう人たちを美化する論調には賛同できませんし、きっとそれはそいつが勝手に頭の中で空想しているだけの虚像であって、事実は大いに異なるってことですよ。
最近のYoutube、Twitter、Facebookなんかの言論弾圧はもとより、主要メディアの偏向報道、そして今回のDAIGOさんの炎上騒ぎ等々、物事を善と悪の二元論に単純化したうえで、特に国や政府の権威的な意に沿わない言論を一方的に封殺したり、国民の目に触れさせないようにするやり口は、なにか背後で巨大な(左翼的な)力が介在しているとしか思われません。
これってもしかすると国や政府の権限の巨大化・強化と、それに伴う超管理社会の到来の前触れではないですか。特に近年、我が国では社会主義的な政策が水面下で進んでいますので、我々の自由が今後どんどん制限されていくかもしれません。
きっとその流れの中で、運悪く生活保護者を卑下してしまったDAIGOさんは、ある意味生け贄にされた挙げ句に「いいか、少しでも異論を言うとオマイらもこうなるぞ!」とさらし者(スケープゴート)にされてしまったのかもしれません。が、DAIGOさん、別にあなたは間違っていないですよ!とボクは伝えたいです(無理ですが)。
なにより、間違っていたとしても、それがなぜいけないのか?って話ですよ。世の中色んな考えがあっていいわけで、一方的な耳障りのよいフレーズ(人権、人は皆平等、生きる権利、命の重さに差はない、ベーシック・インカム、働き方改革、BLM、ジェンダー平等、気候変動、ワクチン)しか認めないとする社会こそおかしいし、恐ろしいものがありますね。
しかし、世の中の大部分の人は(自分で考えることはせずに)単なる反応でしか生きていないので、マスコミ(主要メディアや新聞)が報じればすぐに信じるし、煽れば飛びつくし、批判すれば一緒に批判するという、パブロフの犬状態になっているので、今後この流れを変えることは困難かもしれません。
で、それに対抗する最後の手段こそがこのインターネットである!みたいなことを少し前のブログで書きましたが、この場も今となっては徐々に権威主義的言論・思想統制のターゲットになってきました。
そんな中でできることは限られてますが、まずはテレビを見ないこと、もう一つは名作「トレーニング・デイ」でデンゼル・ワシントンが言っていたように、狼(ウルフ)に勝つためにはこっちも狼(ウルフ)になるってことでしょうか。